もうオリンピックを見ている自分がいる


 沖縄県の私立大学・沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落してから今年で8年目にななった。わ〜びっくり!!
 あの当時、米軍ヘリ墜落&大学占領をスルーしてアテネオリンピックに沸く本土メディアへの怒りが大きすぎて、以来オリンピックと聞くとちょっと鬱になって見ることもあんまりできなかったけど、いつの間にか8年目のロンドン・オリンピックは普通に見ている自分がいる。

 その一方で、沖縄では8年以上前から懸念されていたオスプレイの配備が本格的に動き出していたり。

 オスプレイと大学へのヘリ墜落事件。
 8回目の8月13日を迎えるに当たってもう一度鈍ってしまった記憶を呼び戻さないと。

 というわけで、二年ぶりの再開。「米軍ヘリ墜落・占領事件」の全貌について。
 今までの記事はカテゴリーの「米軍ヘリ墜落・占領事件」をご覧ください。

 

1月〜7月 読了記録


学生のためのフィールドワーク入門

学生のためのフィールドワーク入門

★★★★★



インタビューの社会学―ライフストーリーの聞き方

インタビューの社会学―ライフストーリーの聞き方

★★★★★



インタビュー術! (講談社現代新書)

インタビュー術! (講談社現代新書)

★★★★★



ハプスブルク家 (講談社現代新書)

ハプスブルク家 (講談社現代新書)

★★☆☆☆



ライフヒストリーの社会学

ライフヒストリーの社会学

★★★★☆



ヤマピカリャーの島―西表島の自然と人間 (1985年) (おきなわ文庫〈22〉)

ヤマピカリャーの島―西表島の自然と人間 (1985年) (おきなわ文庫〈22〉)

★★★☆☆



三陸海岸大津波 (文春文庫)

三陸海岸大津波 (文春文庫)

★★★☆☆



仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書)

仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書)

★★★★☆


琉球政府
大城将仁著/ひるぎ社/1992年
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9920428027
★★★☆☆



戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語 (中公新書)

戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語 (中公新書)

★★★☆☆

『ヤマピカリャーの島―西表島の自然と人間』

ヤマピカリャーの島―西表島の自然と人間 (1985年) (おきなわ文庫〈22〉)

ヤマピカリャーの島―西表島の自然と人間 (1985年) (おきなわ文庫〈22〉)


 沖縄地元の老舗出版社ひるぎ社の「おきなわ文庫」シリーズの1冊。ちなみに「ヤマピカリャー」とは西表の言葉で「山の中で光るもの」という意味であり、すなわちイリオモテヤマネコのこと。
 西表島フリークの著者による自身の西表体験と島の動植物観察記録といった内容。85年の出版なので、「西表島横断」の詳細で実践的なルートガイドは今でも有効か不明だが(当時よりルートは整備されていたり、ダメになっていたりするかもしれない)、カンムリワシやヤマネコ、干潟の生物やマングローブなどの生態は今でも変わることはないであろう。
 読み物的要素が強いので西表の自然に関する入門書としてお勧め。著者の西表への愛に共感し、思わず西表フリークになってしまう1冊。
 惜しむらくは「西表島の自然と人間」という副タイトルなのに、島の人々については祭りや炭坑の歴史などを除いて描写が少ない点である。

高江で動きがありました!!


 日米政府がオスプレイの配備を強行しようとしていますが、そのオスプレイのためのヘリパッドとも言われる高江のヘリパッド建設に動きがありました。


http://takae.ti-da.net/e4089035.html

http://takae.ti-da.net/e4089021.html


 夕方の6時半ごろに防衛局が重機を持って高江に現れたようです。今夜のうちの強行もありうるとさえ言われています。
 おそらくオスプレイ配備を見据えての行動でしょう。これに反対せずしてオスプレイ配備反対も何もありません。
 現場では24時間体制の座り込みが行われています。どうぞ現場にこられる方は現場へ、来られない方は防衛庁や沖縄防衛局への抗議をお願いいたします。

沖縄本の本棚を作りました

 以前も少し書きましたが、ブクログという「ウェブ上に本棚」を作るというサービスを利用して「沖縄本」を集めた本棚を作りました。

http://booklog.jp/users/poppen38(沖縄本の世界)


ブログ右下の本棚パーツからも行けます。



沖縄本の世界


 ブクログというサービスを知って、さっそくこれは面白そうだと登録したのですが、ただ自分の読んだ本を登録していくだけじゃ芸がない。そこで思いついたのが「沖縄に関する本に特化した本棚を作ろう」ということ。
 これも当初は思いついた沖縄関連の本を片っ端から登録していましたが、今ではジャンルごとに一定の体系を持つ棚作りをしています。できれば各ジャンルの本棚の並べ方を見るだけで、沖縄の歴史や各分野の注目点がわかるような、あるいはこれからその分野を学ぶ人のために「こんな本があるんだ」と気づいてもらったり取り組むべき課題がわかるような、そんな本棚を目指したわけです。



沖縄本とは?


 さて、本棚の名前は「沖縄本の世界」としましたが、ではここで言う「沖縄本」とは何か? これは書いてある字の通り、沖縄に関することを扱った全国流通の本および「沖縄県産本」のことです。


 「沖縄県産本」とは、沖縄の出版社で作られ主に県内でのみ流通している書籍のことで、おそらく沖縄を学ぶ上ではずすことのできない書籍群でしょう。出版社で言えば、「ひるぎ社」「ボーダーインク」などが代表的で、確認できるだけで戦後20社前後が存在しています。また、全国的流通しているので「沖縄県産本」というイメージは薄いのですが、「沖縄タイムス社」「琉球新報社」も範疇に加え、および沖縄県や市町村が発行した書籍も必要に応じて登録しています。
 現在(5月17日)で766冊の沖縄本を登録していますが、そのうち沖縄県産本は209冊にのぼっています。沖縄県産本は県外でなかなか目にする機会も無いでしょうから、この本棚でそのディープな世界を積極的に紹介していきたいと思います。
 なお、沖縄県産本は県外では入手が難しく、また必要に応じて絶版されて久しい本も登録されていますが、前者はアマゾンで買うこともできますし、絶版本でも沖縄関連本であればまず沖縄県立図書館にほとんど揃っていると思いますので、お近くの公立図書館を介して取り寄せることができます。



ジャンルと選書基準について


 ジャンルは「文化・芸能」「歴史(琉球王国・近代)」「沖縄戦」「歴史(戦後)」「米軍基地」「小説・映画・漫画等」「思想・評論」「自然」「産業・経済・自治・政治」「ガイド・各地域」「社会問題・その他」の11ジャンルに分かれています。詳しいジャンルとその下での再分化については後述。
 まあ、本棚を構築していて「文化」と「芸能」を一緒くたにしたのは間違いだった、とか、カオス状態になっている「社会問題・その他」の「社会問題」部分は「産業・経済・自治・政治」のところにぶちこんで「辞典・エッセイ・その他」にでもするべきだった、とちょっと後悔していますが、次の本棚大整理の際に調整してみます。


 選書基準ですが、沖縄に関連した本であることは大前提として

  • あまりに専門的な本は置かない
  • なるべく1990年以降に出版された本
  • 値段が5000円以下

というのを基本的な条件にしました。ただ、これはどうしてもそのジャンルの基本書として置く必要があるもしくはものすごくいい本なのでぜひ置きたい、または他に適当な本が無いという場合に関しては上記の原則を適用しません。
 年代については必ずしも最新のものを追わなくても良い「文化・芸能」「小説・映画・漫画等」「思想・評論」は古いのも置きますし、「歴史(戦後)」についてはその時代を知るために当時発行されたものをこそ置く必要がある場合は50年〜90年のも置きます。逆に「経済状況」「環境保護」「社会問題」はなるべく2000年代以降のものを置いていきます。


 また、分野によっては多数の関連書が出ていますが、あまり重複しすぎるのもうっとうしいので、なるべく上の基準に沿うか特にお勧め本を中心に2〜5冊まで選び、選にもれた本は各レヴューページでフォローしています。また、県外で目にする機会が少ないため、沖縄県産本を優先的に登録しています。


 一方『ブクログ』はアマゾンと連携していますので、アマゾンに登録されていない本は置くことができません。特にかつては沖縄県産本と言えばこの出版社というひるぎ社(・・・・・・倒産しほとんどの書籍が絶版)の多くの名著が登録不可になっていました。現在の「沖縄県産本」の雄・ボーダーインク社の本も一部アマゾンに見当たらないものが多いのですが、やっぱりひるぎ社の数々の本が登録できないのはイタイ。
 特に『首里城』とか『琉球政府』とか『金門クラブ』とか『福州琉球館物語』とかはぜひ登録したかったんですけどね。その他にも多くの沖縄県産本が登録できないのですが、これらも登録できる類似本のレヴューページで案内していきたいと思います。


 判断に困ったのが「集団自決」に関する歴史修正主義的な本や沖縄戦を美化する本,米軍基地の押し付けを肯定するかのような本や明らかな政治的悪意によって沖縄を侮蔑・中傷する本の扱いをどうするかという点です。あくまで参考用ということで登録しておくのも筋と言えば筋なのかもしれませんが・・・・・・しかし、本棚に登録するにはやはり一定以上のレベルに達している本にしたいですし、そういう点でも歴史修正主義本や中傷本のその水準に達していないものがほとんどであるため、特に代表的で物議を醸した本のみを登録対象としました。
 なお、上記のことも含めて登録されている本すべてを私が必ずしも支持しているわけではないこともご理解ください。あくまで一定の水準に達し、歴史的にも意義のある本を網羅的に集めているわけですから。



本棚の見方


 ブクログの基本設定は新しく登録した本が前にくるようになっていますが、体系的かつ一定の流れがある本棚を構築するため、新しく登録した本が後ろに来るように設定しています。


 そうしておいて1番前に来る棚(このブログのブログパーツとしても表示されている)には全11ジャンルの中で最もお勧めまたは基本となる本を並べました。「米軍基地」5冊、「文化・芸能」2冊,「歴史(琉球王国・近代)」2冊,「沖縄戦」3冊,「歴史(戦後)」2冊,「小説・映画・漫画等」3冊,「思想」3冊,「自然」「産業・経済・自治・政治」「ガイド・各地域」「社会問題・その他」各1冊ずつとなっています。
 そして各ジャンルの棚においては、1つ目の本棚の1番上にそのジャンルにおける最もお勧め本または基本書を並べました。2段目以降は細分化されたテーマに関する本を一定の流れに沿って並べています。
 例えば「歴史(琉球王国・近代)」の場合、お勧め5冊→王国以前→琉球王国全体史→琉球処分→対外関係→人物(琉球王国)→近代→人物(近代)、といった具合に。


 さて、この本棚作りは去年の8月くらいから延々と続けてきて、私も今まで知らなかった沖縄本の引いては沖縄のディープな世界に触れることができました。
 実を言うと、私は個人的な事情で去年の大半を沖縄以外で過ごし、現在もまだ沖縄に戻っていません。私がこういう本棚作りにいそしんだのも沖縄から離れて暮らす心の空白を埋める行為であったような気がしなくもありません。
 一方、沖縄から離れているのにこのような本棚を作るのは大変でもありました。沖縄にいればどのような本があるのか県立図書館やジュンク堂古書店で容易に確認できたのでしょうが・・・・・・。とりあえず沖縄県立図書館のHPでキーワード検索したり、沖縄県産本の出版社HPをチェックしたり、沖縄関連本を紹介する個人サイトを巡ったりして情報収集を重ねてきましたが、それでもけっこう漏れている重要本があると思います。
 また、本棚を見ればわかると思いますがほとんどの本が「未読」状態です。それでも過去にチラ読みした本も多いですし、ネットでの評判なども調べて登録していきました。本格的なレヴューは沖縄に戻ってからやりたいと思います。


 本棚を構築しているうちに新しい良書が刊行されたり、重要な本の見落としに気づいたりもして修正できる分は修正しましたが、すでに今から入れ直すと本棚自体がごちゃごちゃになってしまう段階まで棚作りが終わっているジャンルについては手をつけるのはやめました。私が飽きていなければジャンル構成も含めて毎年本棚の大掃除をしますので、そのたびに全面的に構築し直します。


 それではこの本棚がみなさんの沖縄理解の役に立てば幸いです。

沖縄関連オーラルヒストリー


 オーラルヒストリー、ライフストーリーについて調べているのだけど、沖縄関連で探してみたら何かおもしろそうな論文が多かったので、タイトルとネットで調べられる範囲の情報をメモしておきます。
 ネット上で閲覧可能なものにはリンクを、または紹介文が見つかったものにはそれを付記しておきますが、・・・・・・あんまりネットで読める論文は無いね・・・・・・
 いつか読みたい、って言うか沖縄戦後史を勉強したいけど、なかなかできないなぁ。


論文編


・オーラル・ヒストリーと地域における個人の<歴史化>--沖縄戦体験を語る声と沖縄県米須の場合 (特集 地域研究とオーラル・ヒストリー)
小林 多寿子/三田社会学 (15), 3-19, 2010/三田社会学会/ネット上で閲覧可能
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=53874

特集1: 地域研究とオーラルヒストリー1. はじめに2. 2009年6月13日 米須3. 体験を語る声と「歴史」―米須の場4. オーラルヒストリーと歴史化の位相5. おわりに―オーラルヒストリーの可能性としての声の公開と声の「流通」

・ 沖縄の戦死者をめぐる語り : 民間巫者・ユタを事例として
村山 絵美/日本オーラル・ヒストリー研究 (5), 117-131, 2009-09-12/日本オーラル・ヒストリー学会


・<体験>と<経験>の語り : 沖縄戦のオーラル・ヒストリーから
桜井 厚/日本オーラル・ヒストリー研究 (5), 73-97, 2009-09-12/日本オーラル・ヒストリー学会


・語られない経験の継承 : 沖縄・平和活動者のライフ・ヒストリーから(<特集2><戦争の記憶>の継承可能性とオーラル・ヒストリー)
門野 里栄子/日本オーラル・ヒストリー研究 (5), 63-71, 2009-09-12/日本オーラル・ヒストリー学会


・沖縄出身兵にとっての軍隊の意味 : 太平洋戦争に参戦した沖縄男性の体験から
大城 道子 /日本オーラル・ヒストリー研究 (4), 177-190, 2008-10-11 /日本オーラル・ヒストリー学会


・沖縄系移民の語りからみる日系ペルー人強制収容経験の位置づけ : 日系人研究の再定義をめざして
仲田 周子/日本オーラル・ヒストリー研究 (4), 107-121, 2008-10-11/日本オーラル・ヒストリー学会


・沖縄の声を聴く : 「琉球弧を記録する会」語る傷を包む腕(かいな)とまなざし(<特集>戦争・植民地期-オーラル・ヒストリーの視点から)
中尾 知代 /日本オーラル・ヒストリー研究 (3), 51-66, 2007-09-15 /日本オーラル・ヒストリー学会


・1960年代以降の沖縄における地域社会の変化--ひとりの女性のオーラルヒストリーを通して (オーラル・ヒストリー特集)
八尾 祥平/琉球・沖縄研究 (1), 112-133, 2007 /早稲田大学琉球・沖縄研究所


・物語化された死者儀礼--沖縄島の「ミーサァ」をめぐる「ユタ」のクライアントの語りから (オーラル・ヒストリー特集)
村松 彰子 /琉球・沖縄研究 (1), 89-111, 2007 /早稲田大学琉球・沖縄研究所


普天間基地移設問題に対する辺野古住民の応答--現在進行形の事例を記録する (オーラル・ヒストリー特集)
熊本 博之/琉球・沖縄研究 (1), 43-60, 2007 /早稲田大学琉球・沖縄研究所/ネット上で閲覧可能
http://www.hi-ho.ne.jp/hirokuma/ryuuoki2007%202.pdf


沖縄戦の死者と生者の〈戦後〉--巫者による戦死者供養を巡って (オーラル・ヒストリー特集)
北村 毅
琉球・沖縄研究 /琉球・沖縄研究 (1), 21-42, 2007 /早稲田大学琉球・沖縄研究所


・オーラル・ヒストリー研究の現状と沖縄研究におけるオーラル・ヒストリー (オーラル・ヒストリー特集)
熊本 博之/琉球・沖縄研究 (1), 9-20, 2007 /早稲田大学琉球・沖縄研究所


・戦後沖縄におけるAサインバー・ホステスのライフ・ヒストリー
小野沢 あかね/日本東洋文化論集 (12), 207-238, 2006-03 /琉球大学法文学部

戦後沖縄におけるAサインバー・ホステス経験者に対する聞き取りの成果をもとに論文、「戦後沖縄におけるAサインバー・ホステスのライフ・ヒストリー」を執筆した。この論文では、沖縄本島北部出身のある女性からの聞き取りに基づき、米軍統治時代末期の沖縄における米兵向け水商売で働いていた女性従業員の労働、賃金、労働意識、暮らし、生い立ち、人物像などを明らかにした。1960年代末の米兵向け水商売では、前借金などから相対的に自由なホステスも存在していたこと、借金をしないで労働することのプライドが息づいていたこと、本土での進学・労働経験の持つ意味の重要性などが浮かびあがってきた。(http://kaken.nii.ac.jp/en/p/16520391)


・沖縄系アメリカ人のライフ・ヒストリー(I)
鳥越 皓之/桃山学院大学社会学論集 15(2), 163-185, 1982-01-30/桃山学院大学/ネット上で閲覧可能
http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/50/50-ch09.pdf



文献編


・沖縄の反戦ばあちゃん 松田カメ口述生活史/松田 カメ‖[述]/刀水書房/2001年


大田昌秀オーラルヒストリー/政策研究大学院大学(政策研究院)C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト‖[編]/ 政策研究大学院大学(政策研究院)C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト/2003年


・上原信夫(元沖縄民主同盟青年部長)オーラルヒストリー/政策研究大学院大学(政策研究院)C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト‖[編]/ 政策研究大学院大学(政策研究院)C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト/2005年/ネット上で閲覧可能(でもめちゃ重い!)
オーラルヒストリー検索

就職してもこういう記事書く大人にはならないように

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31782


 『現代ビジネス』にあまりにも愚かしい記事が載った。あんまりと言えばあんまりな内容なので反論を書いておく。ここでさんざんコケにされた就活学生たちのためにも、かつて羞恥プレイの強要に苦しんだ私自身のためにも。



 くだんの記事は現在の就職活動は学生側にとっても面接する企業にとっても茶番となっていることを指摘する記事だが、そのために序盤にて就活学生たちを徹底的にコケにしている。

 コメントを求められたらしい曾野綾子は、面接の場で自己アピールする際に学生が長所を述べることをとりあげ

「自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露できる人は、他者の視点で自分を見ることができていないということです。だから平気で『自分はリーダーに向いています』なんて面接で言ってしまう。周囲は『出しゃばりな奴だな』と思っているかもしれないでしょう。自分のことをこうだと思い込むと、結局は自分勝手で幼稚な自己表現しかできなくなると思います」

 と酷評している。

 バッカじゃなかろうか?  
 
 まさかと思うが、こんなコメントを出す輩やそれを無批判に載せるライターは学生たちが本気でこんな「恥ずかしいこと」をやっているとでも思っているのだろうか? そう「自分のことを思いこんでいる」とそこまで自分を客観視できないとでも思っているのか? と言うか、ブコメでもこの記事に関心したり、あまつさえ上記のコメントを引用している人が多くて辟易とする。
 まあ、後者はこの文脈とは切り離して一般論として良い言葉だと思いメモしているのかもしれない。確かに「自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露できる人は、他者の視点で自分を見ることができていないということです。」も「自分のことをこうだと思い込むと、結局は自分勝手で幼稚な自己表現しかできなくなると思います」も一般論として正論である。自分の美点を人前でとうとうと述べる奴は日本人の美徳「謙虚さ」を忘れているし、自分のことをどういう人間か決めつけるのは何歳だろうと良くない。
 そして、そのような異常なことを学生らに強要するのが面接と言う場である。

 「自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露」を批判する曾野綾子はではエントリーシートにほぼ必ずある『長所』欄をどうしろというのだ、まさか空欄で出せと言うのか? しかも面接の場で面接官から「あなたの長所を教えてください」と聞かれたら? 黙っていろと言うのか? それとも恥ずかしげに謙虚に話せば満足か? ハキハキと話せない奴はまず最初にはじかれることは就活生には自明のことである。
 まあ、曾野綾子はたぶんエントリーシートを見たこともないし面接に悩んだりすることもなかった「世間知らず」だろうから聞くだけ無駄な気もするが。


 同記事は続いてある演劇学生の例を出し、人材コンサルティングのコメントを紹介している。

「面接対策として、ある程度の自己分析をする必要はあるかもしれません。しかし、没入しすぎて『自分はこういう人間だ』と自己暗示をかけ、それに縛られてしまうことが多い。せいぜいバイトかサークル活動といった浅い人生経験で、自分はこういうタイプの人間だと決めつける。自分で自分の可能性を狭めてしまうことにもなります」(辻氏)

 二十歳そこそこの若者が、必死で禅問答に取り組み?自分史作り?に励む。その姿は、大人から見ればどこか気味が悪くもある。

 曾野綾子よりは生の就職活動現場を知っているためか、彼女ほどのずれた意見は言っていない。いまいちピンとこないが、もしかしたら最近の学生はそうなのかもしれない、と思わせるところがある。(ライターの地の文は悪意に満ちているが)。
 しかし、曾野綾子にも言えることだが、引っかかる点はある。「せいぜいバイトかサークル活動といった浅い人生経験で、自分はこういうタイプの人間だと決めつける」と言うが、例え学生が傍目には決めつけとしか思えないようなことを口にしていてもそれが単なる就活対策以上のものではないかもしれないではないか? 面接が終わった瞬間にはそんな「決めつけ」は脳内からきっぱりなくなっているのではないか・・・・・・いや、少なくとも私はそうだったが、みなは違うのだろうか?

 この観点からみると曾野綾子はさらに愚劣だ。「自分のことをこうだと思いこむと〜」とか言っているが、就活学生が本気で「恥ずかしげもなく」口にしていると決めつけているのは他ならぬ曾野綾子ではないか? 自分の美点を自分で口にさせられる学生がほとんど精神的拷問にも近いことを耐えているだけだという発想にはならないのだろうか? 

・「自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露できる人」は本当に恥ずかしく思っていない。(=言うように求められているから言っているだけ、というわけではない)
・「周囲は『出しゃばりな奴だな』と思っているかもしれないでしょう」という周囲の観点を当人は認識していない。(=そんなことは百も承知だが言うしかないから言っている、というわけではない)

 この2点をぜひ証明してほしい。


 だいたいこの記事全体も大いに矛盾している。記事は曾野綾子の「決めつけ」になんら批判的なことを書かないまま、同時に就活学生たちが「すました顔で嘘をつき」面接官が「心にもないことを言わせる」と書きながら、なぜか曾野綾子や辻氏の「決めつけ」は真実のことと受け止めている・・・・・・いや、学生が嘘ついているならその「美点アピール」や「自分のことをこうだと思い込む」発言も嘘なんじゃないの? という話にはならないのか?


 私個人の就職活動のこと、そして転職活動のことを言うと、この『長所を書け/述べろ』は先に書いたように精神的拷問であり、趣味の悪い羞恥プレイの強要以外の何者でもなかった。なんだって自分で自分の美点を述べるなんて恥ずかしいことをしなくちゃいけないのだ? 「日本人の美徳」*1はどこに行ったんだー!! と心中で叫びならが、(恥ずかしさのあまり)血反吐を吐くような思いでエントリーシートを書き、面接で答えるべき回答を書いた。あまりに精神的にキツいので市販のエントリーシートを使用していい場合は、「長所」を書く項目自体が無いものをなんとか探し出して使用していたが、面接の場での「長所を述べてください」だけは回避不能である。
 ここまで来るとほとんど無理やり「反省文」を書かされているかのような屈辱感を覚えてくる(書いているのは反対の「美点」なのだが)。しかし、この屈辱感に耐えなければ就職できないかもしれない。まともなところに就職できなかったら、正社員になれなかったら、どんな真っ暗な未来が待っているか・・・・・・という恐怖が就活生にはある。だからどんな羞恥プレイにも屈辱にも耐える。この社会ではともかく働かなければ(それもなるべく心身を破壊されないような場で)生きてはいけないのだから。


 ところで、就活学生の「恥ずかしげも無い」「思い込み」は、曾野綾子やライターの妄想であり、実際の学生はもっと客観的で恥ずかしさに耐えている、という前提で話を進めてきたが、それは本当だろうか? 少なくとも私は恥ずかしさに耐えて長所をアピールし、面接前に「ガラかめ」でも読んで自分はこういう人間だととりあえず思いこみそれを演じて面接が終わったら(何を発言したも含めて)その自画像は忘却のかなたに投げ捨てたが、もしかしたら(まさかと思うが)大多数の就活学生は「恥ずかしげも無く美点を口にし」「自分のことをこうだと思いこんでいる」のかもしれない。
 そうではないと証明するだけのデータの持ち合わせはないが(と同時に曾野綾子やライターにも自論を証明するデータなんてないだろうが)、参考となりそうなのが実は同記事内にある。

 同記事の3ページ目には、面接の場で出くわした珍質問に対する就活学生たちの証言が載っているが、どれもかなり冷静で面接を客観視するだけの視野はあるように思える。
 また5ページ目の学生は

「就活って、基準が見えないから、受かっても落ちても何が原因だったのかわからない。だから、就活マニュアルに載っている『いい就活生』像にできるだけ近づくよう努力するしかないんです。意味があるかどうかは考えず、割り切るほかない。でも、いくら『いい就活生』になるために頑張っても『いい社会人』になれるわけじゃない。だから、内定が決まった今も、すごく不安で・・・」

 これが「他者の視点で自分を見ることもできない」とか「幼稚な自己認識」な学生が言うことであろうか? この学生も内定をもらったからには「自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露」したはずである。この記事もこんなライターや曾野綾子のコメントを引っ張ってくるくらいなら、なかなか客観的な視点のこの学生に就活の苦労や不安を率直に語ってもらったのを記事の骨子すればもっと益のある内容になっただろう。


 さて、ここまでライターや曾野綾子などの就活学生に対する妄想を批判してきたが、もう一点。
 このライターは始終就活学生をコケにしているが、彼らは就職戦線においてどういう立場だろうか? 圧倒的に不利な立場なのである。まだ労働者でもない彼らには労働基準法労働組合も味方になってはくれない(いや、就職してもあまり役に立たない場合が多いが)、ただ一人一人分断され他者を蹴落としてでも自分が生きるためにあがく者たちである。
 彼らはとにかくも就職するためならばどんな羞恥プレイにも屈辱にも孤独に耐える。採用されるもされないも面接官の胸先三寸である。その圧倒的に非対称な就活生を面接官と一緒くたに「バカ」と罵ることに恥は感じないのであろうか?

 例えばサビ残せざるを得ない労働者がいるとしよう。この労働者に向かって「社畜*2「タダ働きなんてバカじゃないか」「家族をないがしろにするのか」などと言った批判がいかにまとはずれかはわかるだろう。まともな労働組合ならその労働者個人にサビ残なんてやめるよう批判するのではなく、それを強要する経営陣を批判するはずである。
 経営者と労働者個人は圧倒的に非対称な存在であり、労働者の側が勝手にサビ残を拒否することはそのまま職を失う=この社会で生きていけないことを意味する。だから経営陣の方にサビ残をさせるのをやめるよう言うのが道理である。
 しかしこと就活ともなると、未来の労働者たる就活学生を嘲笑するまさしく「弱きを挫き強きを助ける」ような悪意ある記事が「平気で」書かれるのである。こんなことを書いてお金がもらえるとはなかなかステキな商売とでも言うべきか。

 国が滅びようと何だろうと、生きるためには働かなくてはいけない。就活生にはこいつらへの怒りを胸に秘め、歯を食いしばって爪を隠し、嘘でも方便でもとにかく職を得て生き抜いてほしい。そしてその上で、こういう輩を引きずりおろし、状況を変える力を養ってほしいと思う。


オマケ

 まあ、こんな記事を読むよりは、就活生や転職したい人は

格闘する者に○

格闘する者に○

 なんかを読んだほうが精神安定状いいんじゃないかな? エントリーシートに『長所』や『学生時代に打ち込んだこと』なんかを書かされて心が折れそうになった夜に。

それから四月が終わるまでの二週間は、出版社のエントリーシート書きに費やされた。「好きな本や雑誌」「感動したこと」「嬉しかったこと」「これからの出版界はどうなるか」「どんな出版物をつくりたいか具体的に」・・・・・・聞いてどうする、と脱力するような項目や作文の題目が延々と続き、一体原稿用紙にしてどれくらいの量の文章を書かされたかわからない。

私はラオゾージュニアと結婚して『丸川の女帝』とか呼ばれるんだわ。そうなったら就職の面接で変な質問なんてしないよう、社員に徹底させてやる。

*1:私は「日本人の美徳」なんてどーでもいいと普段は思っているが

*2:この労働者が他の労働者にまでサビ残を当然視するはた迷惑な言動をした場合を除く