2004年8月13日14時18分−墜落の実態

 2004年8月13日、13時56分。前日に整備を受けた事故機は、テスト飛行のため普天間基地を離陸し、北部に向かう。離陸後、飛行場の管理官が滑走路に事故機のポジションライトが落ちているのを見つけたが、テスト飛行は続けられた。
 
 14時17分27秒、テスト飛行を終え普天間へと向かっていた事故機は、基地の管制塔から連絡を受ける。この時点で事故機の乗員、管制官ともに何ら異常を感じていない。

 ところがそれから30秒と経たない14時17分45秒、事故機は管制塔に向けて緊急事態を宣言を送り、さらに18分2秒の遭難救助信号を出した。管制塔は指示を出したが、06秒を最後に通信は途絶えた。

 同じ頃、宜野湾市各地で市民らがヘリの異常を確認していた。
 音がいつもと違う、あまりにも大きい。
 そのような「音」によって空を見上げた市民らが見たのは驚くべき光景だった。

 上空のヘリが奇妙な揺れを起した後、機体尾部のL字型の部分が突然ポッキリ折れて下に落ちていったのだ。
 そして尾部を失ってすぐに機体は傾き、回転しながら落ちていったのだという。

 普天間基地周辺で訓練中だった別のヘリの乗員はその時の様子をこう証言している。
「L字型の部分が機体の後部から離れ、まっすぐ降下して行くのが見えた。ヘリはくるくる回転していて、飛行している状態には見えなかった。それから事故機は向きを変え、機首を下げながら、右回りのらせん状に落ちていった。一回転半ほどしたところで視界から消え、その直後にオレンジ色の火の玉が見えた」*1

 この時、機体から「折れて」落ちていって尾部は公民館の裏手の林に落ちた。公民館ではこの時職員と数名の子供たちがいた。

 そのヘリが墜落して炎上したのが、沖縄国際大学(以下沖国大)本館前の緑地帯である。
 実は事故機は機体そのものが本館にぶつかったわけではない。
 まず回転を続けていた六枚のメイン・ローター(プロペラ)が沖国大の屋上の庇部分に接触した。メイン・ローターはその後も回転を続けて壁に接触しながら機体ごとずり落ちていった。
 この時、メイン・ローターの一枚が壁との軋轢に耐え切れず機体からはじき飛ばされ、緑地帯に面した市道を超え、その向こうの住宅の屋根も越えて飛んでいった。

 地元新聞のある記者はちょうど休暇で沖国大近くを散歩していてヘリの墜落を目撃した。急いで現場に向かうと行き会った警察官から、プロペラの一枚が民家の方へ飛んでいったが被害はなかったか? と聞かれたという。メイン・ローターは約8メートルはある。

 メイン・ローターに引きずられた機体は、地面に接触し爆発した。どうもこの時、機体は本館前緑地帯に面した道路の方へ転がっていきかけてらしいが、一本の大きなアカギの木にぶつかり止ったという。
 そのアカギは黒焦げになったが、もしこれがなかったら機体は道路まで転がって大きな被害を出したかもしれない。

 機体そのものはぶつからなかったものの、プロペラの接触および爆発によって本館が受けた衝撃は大きい。
 本館全体が大きく揺れ、また防音ガラスさえも衝撃で歪んでしまったという。
 爆発によって窓ガラスが割れ、機体から飛び散った部品が館内の職員のすぐそばまで飛んできた。

 本館では約20名の職員が勤務中であった。
 当時、本土の報道では夏休み中であたかも大学内に人がいなかったような言い方がされたが*2、実際には本館の職員を始め、サークル活動や夏季講習、ゼミなどで数百人の学生がいたと思われる。

 機体は何度か小規模な爆発を繰り返し、約10分後(?)に大爆発が起こった。
 その時の爆発によって上がった炎と煙は三階建ての本館よりも高く上がったという。
 この大爆発までに本館の職員は避難し、事故機の三人に乗員も脱出するか救出されるかしていた。

 
 近くの小学校のグランドで、ヘリの墜落と高くあがった煙を見たり、爆発音を聞いたりした大学の近くに家がある子供たちは泣き出した。
 沖国大でも墜落を目撃した女子学生たちはショックのあまり抱き合って泣いた。
 大学近くの民家で、爆発の音で昼寝から飛び起きたある初老の女性は、とっさに子供を連れて逃げなくては! と思ったが、すぐに子供はもうずいぶん前に独立してここにはいないことを思い出した。

 燃え上がるヘリから血まみれで米兵が這い出してくるのを目撃した学生や、機体に閉じ込められ助けを求める米兵の叫び声を聞いた学生もいる。

 墜落事故の速報が流れると、県内あちこちで親が子供へ、または友人同士で安否を確かめ合う電話やメールが飛び交った。
 そして幸いなことに、すぐに市民には一人の死者も負傷者も出ていないことが判明する。

 さて、ヘリが墜落した時間であるが、大学近くのコンビニの防犯カメラに墜落時の「音」が記録されており、14時18分11秒と判明した。
 米軍の記録によれば17分27秒の通信の段階では何も問題は発生していなかった。
 墜落の直接の原因となった機体尾部が折れて落ちたのは、この17分27秒と緊急事態宣言の45秒の間であろう。
 だとすると少なくとも異常発生から45秒以内に墜落に至ったということである。


 現場に駆けつけた宜野湾市の消防隊は、普天間基地からやってきた米兵たちに燃料の種類や危険物の搭載の有無について尋ねたが、米兵たちは「わからない」「答えられない」と言うばかりだった。消防隊はともかく消火剤の大量散布によって鎮火を試みる。
 このような軍用機の火災消火作業では、機体の後ろがわに回って作業しなければならない。前方には機関銃が取り付けられている場合があり、何らかの拍子でそれが爆発したり弾丸が発射されたら危険だからである。
 ところが火と煙がひどくて機体の前後さえもわからなかった。火が消えかけて初めて、ちょうどヘリの機関銃の射線上に自分達がいるのがわかったという。
 ともかく火災は15時8分には鎮火した。

 しかし、この後、思わぬ事態が起きる。

 
 

*1:『沖国大がアメリカに占領された日』より

*2:「夏休み中で学生がいなかったのは不幸中の幸い」