墜落による被害(1)

 ほとんど奇跡と言っていいのだが、この墜落事故により一般市民には一人の死者も怪我人も出ていない。*1
 ただヘリの乗員三名は重軽傷を負った。特にうち二名は自力で脱出したが、一人(パイロット)は機体に閉じ込められたため最も重傷を負った。このパイロットは宜野湾市消防の到着前に普天間基地から駆けつけた米兵たちによって救助されている。

 
『墜』という本では彼らの負傷の様子を、米軍が宜野湾市や外務省に提出した『事故報告書(仮訳版)』を引用してこう説明している。

 搭乗していたのは三十歳の大尉、二十六歳の中尉、二十二歳の伍長の三名で、全員一〜二週間で退院している。名前は公表されていない。
「衝突時、×××大尉は、二か所の脊柱骨折、擦過傷並びに×××及び×××に火傷を負った」「衝突時、×××中尉は、左手が押し潰されて、座席の下に押さえつけられた。脱出の間、×××中尉は×××への裂傷、×××の閉鎖脱臼、複合閉鎖骨折および×××の粉砕を被った」「×××伍長の退院時の診断は、第一級の×××を伴った×××欠如とともに、×××及び×××と確定した」
(『墜』より)

 ……ぶっちゃけ米軍による伏字が多すぎてどういう怪我なのかまるでわからない……が、隠している分&見え隠れする淡々とした描写でかえって生々しいものが伝わってくる気がする。

 
 さて、沖国大の近く、事故現場から歩いて5分とかからないところに民間の大きな総合病院がある。おそらく緊急措置もできたであろう。
 ところが救急車に載せられた三名の乗員は、緊急措置が必要だったかもしれないとうのに、この目の前の病院には運ばれずわざわざ隣町の北谷町にある海軍病院へ搬送された。
 おそらく米軍側の都合ではないかと思うが、公務中の米兵が日本の民間の病院で死亡した場合、いろいろと面倒なことが起こるのでわざわざ遠くの海軍病院まで運んだのではないか、という推測もある。
 そんなわけで憐れにもこの三名は救急車に乗せられてから病院に運び込まれるまで20分以上もかけられてしまった。

 ちなみに米軍は、このような扱いをした三名について

さらに『事故調査報告書』の中でも三名の乗員について「自らをより大きな危険にさらすことを知りつつ(中略)無関係な人々の命を守る彼らの行動は、海兵隊の最高の伝統に相応しい」と誉めている。*2
(『墜』より)

と総括している。

*1:むろんこれは大学に人がいなかったとか周辺が空き地だったとかいうわけではまったくない

*2:後で述べるが、墜落の状況から考えて彼らに被害を最小限に食い止めるために何らかの行動をする余地があったかは疑わしい