墜落による被害(3)

 沖縄の地元新聞は事故の翌日までに判明した被害状況を以下のようにまとめた。

(1)墜落現場から約三百六十メートル離れた豚舎近くの雑木林に、長さ約四メートルの尾翼らしき部品

(2)二十センチ四方の金属片。周辺には油が飛散

(3)建設会社のヤードに長さ約一・五メートルの部品。乗用車のバンパーに傷

(4)民家の庭に約十センチの棒状の金属

(5)民家前の道路に長さ約八メートルの回転翼。屋根のアンテナが破損し、回転翼そばに散乱。オートバイ破壊される

(6)(4)の民家の門柱のアーチが切断される

(7)民家建物のドアを貫通した約十五センチの部品

(8)(7)とブロック塀をはさんだ空き地に長さ約三十センチの棒状の金属二個

(9)民家そばの畑にある農業用水タンクに直径約一センチの穴

(10)民家一階の窓ガラス約二十五センチの棒状の金属が窓ガラスを貫通、屋内の壁に突き刺さる。二階では、数センチのコンクリート状の破片二個が窓ガラスとふすまを突き抜け一つは玄関に。もう一つはテレビを直撃

(11)マンション入り口前の道路に長さ約二メートル、幅約三十センチの細長い板状の金属

(12)窓ガラスにひびが入り、乗用車のリアガラスも割れる

(13)平屋民家の屋上に直径約二十センチの金属製部品

(14)給油所内に長さ約十センチの薄い金属片

沖縄タイムス2004年8月14日朝刊より)

 もちろんこの発表以外にも後日判明したものもある。事故現場である本館から50mほど離れた体育館の屋根が飛び散った破片によって穴ができていたのが発見されたのは1ヵ月も後であった。


 8月12日の日記で書いた被害の要因(2)と(3)を区別するのは難しいが、上記に示したもののうち、墜落前の部品の脱落によるのが確実なのは(1)であり、もしかして(3)と(11)も当てはまるかもしれない。


(1)の脱落は墜落の直接の原因となった。当時、公民館には館長と子供たちがいた。彼らはヘリが落ちたことには気がついたが、自分達のすぐそばに4メートルの尾翼が落ちたことには気がつかなかった。

 (11)は、沖国大正面の住宅地にあるマンションの玄関に立てられていた看板に直撃したのではないかと思う。看板は玄関のレンガ塀に打ち付けれていたが、衝撃でビスもはずれてしまった。*1このマンションの玄関前では子供達が遊んでいたが、事故の数分前にたまたまマンションの中に入り無事だった。


 ヘリが墜落した衝撃によって、プロペラ一枚を含む無数の部品と沖国大の壁が正面の住宅地を襲った。


沖国大本館と接触した際にはじき飛ばされた八メートルのメイン・ローターは、まず民家の屋根のアンテナにぶつかり、これを地面になぎ倒した。
 さらにこの民家の入り口にあったミニバイクを破壊*2。また小さな小道を挟んだ向かいにある民家の入り口のブーゲンビリアのアーチが切断されていたが、これもメイン・ローターによるものだと思われる。これはこの民家の主が20年近くかけて作り上げたアーチだった。
 民家の中には当時20代の女性とその女性の生後二ヵ月の双子の息子がいた。

「突然すさまじい音がして飛び起きた。爆発音が何度も響き、窓の外では炎と黒煙が上がっていた。危ないと思い、すぐに子供を抱きかかえ、外に逃げた。玄関にヘリの大きなプロペラが落ちていた」と説明した。「もしかすると、死んでいた。子供は泣き叫び、私も震えが止まらなかった」と恐怖を話した。(琉球新報2004年8月14日朝刊より)

 衝突と爆発の衝撃で砕かれた本館の壁もまた住宅地*3に飛び込んだ。
 事故現場の真向かいにある駐車場では、50メートル以上離れていたにもかかわらず、コンクリート塀が壁の破片によって破壊された。
 住宅地内の道路からは、他にも30センチ以上もある壁の塊が見つかっている。


 しかし最も多く飛び込んできたのは、ヘリの破片である。
 ほんの10〜15センチほどの破片でも農家の水タンクに穴を空けたり、民家のドアを突き破って室内に飛び込んだり*4、または車の窓ガラスを割っている。
 沖国大の隣にあるガソリンスタンドでは金属片が飛んできた上に、ヘリのオイルも降り注いだ。


 このヘリや壁の破片によって最も危険な目にあったのは、事故現場の向かいのマンションの住人であろう。
 このマンションの二階の一室には30代の女性と彼女の生後六ヵ月の赤ん坊がいた。事故の時、彼女は、たまたま近くまで来ていたからと電話をしてきた知人と携帯で話していた。と、突然、その知人が「ヘリが落ちる! 逃げて!」と叫んだ。
 外にいたぶん、知人の方が異変に早く気づけたのだろう。マンションの女性が窓の外を見ると、まさしくヘリが目の前に迫っているように見えた。反射的に隣の部屋で昼寝中だった子供を抱きかかえて外へ逃げた。背後で爆発音が聞こえた。彼女が部屋から逃げたのとヘリが大学に衝突し、その破片が部屋に飛び込んだのはほぼ同時であった。
 この部屋には、強化窓ガラスを突き破って*5二個の破片が飛び込んだ。破片の一つはそのまま飛び続け、ふすまを破って一瞬前まで子供のいた奥の部屋に飛び込み*6、テレビに突き刺さってやっと止まった。

 もし偶然知人と電話をしていて警告を受けたのでなければ、逃げるのが間に合ったかは定かではない。
 またこのマンションの一階にも破片が飛び込み、壁に突き刺さった。

 状況調査をする宜野湾市の職員が、一瞬立ち尽くした。コンクリート窓ガラスを貫通し、ふすまも突き破ってテレビまで達する住宅現場。散乱したガラス片は取り除かれたものの、「室内がこれほど被害を受けたのはここだけだ」と同職員は顔をしかめた。(琉球新報2004年8月15日朝刊より)

 しかし一方で、事故の夜に現場検証しにきた防衛施設局や米軍関係者はこんな暴言を吐いている。

「小石ほどの断片が網戸を破っていた場所があったが、『この程度は大丈夫じゃないですか』と言った。」(中略)「墜落直後にやって来た米軍関係者が、けが人がいないことに対し、ベリーハッピーと笑っていた」(琉球新報2004年8月15日朝刊)

 まったく防衛施設局の言葉は、米軍の代理人の面目躍如と言ったところだろう。


 あれから五年。母親達の腕で難を逃れた子供達も五歳になっている。