その醜さにつり合うのは・・・(追記)


 大学ヘリ墜落事件から6年。沖縄のメディアは毎年この日前後に特集を組むが、今年は例年に比べてあまり無い。
 だが、その中でも胸を打つ記事もある。

爆音原告島田さん 本土・報道に不信感

 「あなた方は司法よりもたちが悪い。読むに耐えない」。7月の普天間爆音訴訟控訴審判決後に開かれた会見。原告団長の島田善次さん(69)は、普天間返還をめぐる報道を痛烈に批判した。

 島田さんの念頭にあったのは、鳩山政権が当初模索した普天間の県外・国外移設に対し、日本の報道各社が“日米同盟の危機”とあおり立てたことだ。
自国民の安全よりも米国の顔色を優先するメディアの本音が、島田さんには透けて見えるようだった。

 04年8月13日。島田さんは福岡県で基地問題について講演中、差し出されたメモで事故発生を知った。あれから6年。普天間の閉鎖・返還は進むどころか混迷を深め、島田さんの出身地の伊計島も一時は移設先騒動に巻き込まれた。県内移設にこだわる本土への不信感が、島田さんを変えた。

 「あなたの所に持って行け」。米軍駐留の意義を説く人には、ナイフのような言葉を突き付ける。「沖縄の痛みを押し付けたくない」という同情は封印した。

 判決当日の早朝。島田さんら訴訟団は、大雨の中を何度も基地に向かって「ヤンキーゴーホーム!」とこぶしを突き上げた。反米色の強いスローガンに、もうためらいはない。

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-08-13_9201/

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 この島田氏をしてこのような言葉を言わせたのは誰か? そして(私を含めて)この言葉に深い共感を覚える沖縄県民も少なくないと思う。
 信じては裏切られ踏みにじられ・・・・・・それは信じた側が愚かだったのではない、その信頼を踏みにじって恥じない者たちが醜いのだ。


 上の島田氏の言葉は、私に小説家・目取真俊氏の小説『虹の鳥』の言葉を想起させる。
 その小説の中の一部には、1995年の少女暴行事件と思われる記述があり、主人公は米軍に抗議する大人たちにこんな感想を抱く。


 だが、必要なのは、もっと醜いものだと思った。少女を暴行した三名の米兵たちの醜さに釣り合うような。
(『虹の鳥』目取真俊/影書房

 今や、いや以前から、沖縄県民が、その醜さに釣り合うほど醜くくなって相対しなければならない相手とは、米軍のみならず県外の日本人のことでもあった。
 しかし、彼らがこの上なく醜いからといって、こちらもまた醜くならなくてはならないのか・・・・・・。
 だがそのような醜くなることへの「ためらい」こそが、少女を救い得なかったのではないか・・・・・・。

 そのような疑問に改めてぶつかる。

 だが、一つ言えるのは、もしこの少女の痛みを忘却し、振興策やら諦めやらで新基地の建設を許し、基地の現状を容認するなら、それもまたこの上なく醜くなるということだ。
 しかもその醜さは、「三名の米兵たちの醜さに釣り合う」といった類の「醜さ」ではなく、その「三名の米兵」と同じ醜さにすぎないものなのだ。



追記

 ところで、上記の記事はもちろんある個人の言葉を紹介している記事だが、これを書いた記者自身の島田氏の心情への深い共鳴が伝わってくるような記事でもある。島田氏の言葉を借りながら、この記者自身の心の叫びが聞こえてくるようなすばらしい記事だと思う。

*1:太字強調はブログ主