1月読了記録

格闘する者に○

格闘する者に○

★★★★★

 それから四月が終わるまでの二週間は、出版社のエントリーシート書きに費やされた。「好きな本や雑誌」「感動したこと」「嬉しかったこと」「これからの出版界はどうなるか」「どんな出版物をつくりたいか具体的に」・・・・・・聞いてどうする、と脱力するような項目や作文の題目が延々と続き、一体原稿用紙にしてどれくらいの量の文章を書かされたかわからない。

たしかにその大理石の階段は、恐ろしいほどに滑った。こんな材質のもので玄関へ至る階段を作るとは、どういう考えだったのだろうか。普段から地面ばかり見ながら歩く私は、水に打たれてヌラヌラとしている石の意味について思いをめぐらせた。一、経営者側の搾取に怒った社員が奮起した時に備え、なだれ込もうとする彼らを阻止するべく、滑りやすい材質を使った。二、特ダネを手に入れたと走り込もうとする若手社員に、ここで転んでもらい、本当にそれが特ダネかどうか、もう一度冷静に判断する時間を与えるために、滑る階段を用意してみた。三、もうかっているから、国会議事堂と同じく大理石造りにした。さまざまな角度から検討した結果、一、二だと晴れた日には役目を果たさないので、たぶん三であろうということになった。

私はラオゾージュニアと結婚して『丸川の女帝』とか呼ばれるんだわ。そうなったら就職の面接で変な質問なんてしないよう、社員に徹底させてやる。

シュミじゃないんだ

シュミじゃないんだ

★★★★☆

ではなにが「シュミじゃない」のかというと、漫画を読むことだ。
 履歴書には「趣味」の欄があるが、あれに私はいつも「読書」と記入する。つまんない人間の代表選手みたいだが、読書(漫画含む)以外に楽しいと思えることもないのだから仕方ない。しかし「読書」と書きつつも、私の心はいつも自分を責めている。
「嘘つき! 嘘つき! 読書は趣味なんかじゃないくせに!」
 そうだ。私にとって、本を読むこと、漫画を読むことは、もはや趣味などという甘ったるい言葉を超越した行為なのだ。一日の本を読んですごすし、漫画のことを考えて生きているのに、それを「趣味」という言葉でしか表現できない社会を恨む。「趣味」じゃないんだ! 私にとって、漫画を読むというのは、すでに「生きる」というのと同義語だ! ま、そういう意味のタイトルですわ。

 そして、少女たちが漫画に求めていたのは、「人間(もしくは男女)関係を、いかに築くべきか」の見本市だったのではないか、とくと考えた。
 同世代の男の子たちが少年漫画を読みながら、「俺も番長になって近隣の不良校を制圧してやるぞ」とか、「経絡秘孔突きごっこをするために、秘孔の位置を肌に描くマジックを家から失敬せねばならん」とか、「翼くんとワールドカップに行くために、今日も球蹴り遊びに興じようぜ!」などと熱心に思っていたそのころ、女の子たちは「関係性」について熟考していたのだ。
(略)少年漫画と少女漫画を読み比べると、それぐらい両者の意識に断絶があるとしか思えない。
(略)
「ふふふ。そこでボーイズラブ漫画の登場よ」
「またボーイズラブなのー?!」
「まあ、そう言わずに。『恋愛またはそれに類する関係によって、人間性は変わりうるか』というのが、少女漫画が追求してきた大きなテーマのひとつだと思うんだよね。でもいまさら、「ステキなコーチに導かれて成長した少女が、やがて対等な男女として恋愛を成就させました』という話を描いたって、現実的なリアリティーがないわけだ」
「たしかに現実の社会を生きるにあたって、『あんなに少女漫画を通して考察したことはなんだったんだろう』と思うよな、関係性に関する理不尽な事態にわんさか遭遇するしね」
「つまりいまは、少女漫画がこれまで提起してきた問題に対する、男性側からの答え待ちの状態でしょ。でも待っているあいだにも、ついつい関係性について考えてくなっちゃうのよ。『今度は関係性によって男性が変わる物語を読みたい。しかし男女の関係を通して、となると、現実の社会を知っちゃったいまとなっては、あまりリアリティーが感じられないなあ。よっしゃ、いっそのこと「男同士」にしちゃえ。女である「私」はちょっとリング外に出て、虚構の男同士の関係性を通して、男性が変わる物語を作ってみようじゃないか』。これが、ボーイズラブ漫画隆盛の原因のひとつだと思われます」
「それで『高めあい成長しあえる対等な俺たち』という男性同士のカップルを仕立ててしまうわけ? 関係性に対する女性の飽くなき追求は、いったいどこまで行くのやら」
「私も自分のなかの『理想の関係性』についての幻想が、幻想を通り越してすでに幻覚の域に近づきつつあるな、とは思うよ。でも追い求めちゃうのよね〜。ツチノコの実在を信じて、野山を探索するようなものかもね」
「あなた、少年漫画を読んで『海賊になるぞ!』って言っている小学生男子よりも夢見がちでタチが悪いわよ」

『福州琉球館物語』 多和田真助 ひるぎ社
★★★★☆

このあと、数回となくここ琉球館へ足を運ぶことになるが、不思議なもので、私自身、このことを漠然とではあるが予期していた。つまり、私と中国との関わり、福州との関わり、中琉交流史との関わり、この諸々の関わりが琉球館を訪れたことで、縺れた糸をひとつ、ひとつ解きほぐすように、琉球館を通り過ぎた人々を追い求め、琉球館へ引き戻し、琉球館のドラマを紡ぎ始めていたのである。そのドラマは近代の激動の中で、登場人物の意志とは裏腹に進行する筋書きのないドラマであり、舞台は現在に至る福州と沖縄、さらに本土へ広がりを見せた。琉球館から始められた歴史の追跡というか、歴史で語られることのなかった私の取材行は、このあと様々な事実と直面、実に多くの意外な人物と出会った。その都度、生涯のある時期、琉球館と深く関わり、それを今に引きずっている人、その後の人生に重くのしかかり、未だに琉球館での出来事を断つことなく生きている人。館跡で抱いた私の漠然と予期していたことが、私の足をこれらの人々の元へ運ばせたのである。

ところで、この「リーベン(日本)」だが、毎度のことながら或る種の惑いを覚える。「リーベン」と呼ばれる度に、心の中で「いや、沖縄、琉球」とつぶやくのだが、言葉を呑み込んでしまう。この惑いの気持ちはこちら側だけのもので、福州の人々は「沖縄」に対して、特別な感情を抱いているようにも見えるが、最終的にはやはり「リーベン」ということになる。

 正忠氏渡福の直接の動機は、徴兵忌避であった。日露戦争を前に、また軍国主義国家への過程で、時の明治政府は日本の一県となった沖縄県人からも、兵役徴集に乗り出した。ところが、当時の沖縄の一般的な風潮として、国家への忠誠心は薄く、忌避が相次いだとのことだ。心情的には明治政府への忠誠より、むしろ中国(清朝)との結びつきが強かったのである。先に引用した、高良さんの記述「琉球処分に反対し、王国の復活を中国に訴えるために続々と密航してくる亡国の旧臣たちの住みかとなる」、いわゆる脱清人の存在が、このことを物語っている。

 最初の渡福は正忠氏の父、正直氏の指示であった。ここで、正忠氏渡福の動機を見ると、沖縄県民の中国に対する心情→明治政府に対する忠誠心の薄さ→反発→徴兵忌避の図式が成り立ち、その時代背景として、琉球廃藩置県→日本近代史の夜明け→軍国主義の強化→近隣アジア、中国、朝鮮への侵略ーが重なり合う。渡福の動機は徴兵忌避の単純なものだったが、廃藩置県後の琉球は日本の近代史、アジア史の動きと、きわめて複雑に絡み合っていたのだ。
 父、正直は明治の初めの頃から、琉球館を”根城”とした商人で、那覇の出身だった。泉崎に店を持ち、当時那覇ー福州間を往来していた。日本全体が軍国主義国家へ急テンポで進んでいく。徴兵が相次ぐ。いよいよ間近に徴兵が及んでくると、正直は息子たちを福州へ渡らせ、忌避させることを企てた。当時、正直には六男、二女がいた。
(略)「兄弟五人、福州へ向け沖縄を出発、難破、漂流の末に浜へ打ち上げられた」ことを伝えた。漢字の筆談が通じたことは、どうやらそこが中国の一部か、その文化圏であることは分かった。そのあと、男たちの浜近くの集落へ案内され、手厚い看護を受けた。そして、そこがベトナムであることも判明した。
(略)彼らの手配で、香港行きのイギリス船へ乗り込むことになった。当時、香港には日本領事館があって、まごまごしていると、沖縄へ強制送還されてしまう。香港へ着くと、兄弟五人は広東省、広州へ逃亡。広州から福州へ向かった。約二千キロの陸路を歩いて、福州へついている。

とっぴんぱらりのぷぅ

とっぴんぱらりのぷぅ

★★★★☆



★★★☆☆

 だけど心臓が震えるってどういうことなのか、今になってはっきり意味がわかった。
 涙がずっと止まらない感じとか。
 いきなり自分自身に裏切られたような気持ちの。
(なんだ・・・・・・そうだったんだ)
(あたしこの人のことが好きだったんだ)
 そんなこと今頃わかったてどうにもならない気もしたけど。
(どうしよう)
(どうしたらいいんだろ)
 自分でもコントロールも自覚もできないような、こんな気持ちがどこにいくのかなんて考えられなかった。
(中略)
(――ここにおいで)
(まだ気づいていないなら)
 いろんな大切で難しいことがあって――そのほとんどが、きっとあたしの知らないことばかりで。
 だけどひとつだけ、自分でもはっきりわかっていた。

 今、あたしがいるこの場所も。
 ZONE ZERO、だったんだ。

★☆☆☆☆