『平和通りと名付けられた街を歩いてー目取真俊初期短編集』


 某所*1で書いた『平和通りと名付けられた街を歩いて』のレヴューをこちらにも書いておきます。
 実はレビューを書いた時も現在もこの本が手元に無い状態なので、もしかしたら内容に勘違いがあるかもしれませんので、気づいたら訂正します。本当は本を見ながらレヴューを書くべきなのですが、そうするといつまでも書けないので、とりあえず記憶に基づいて書きました。


平和通りと名付けられた街を歩いて―目取真俊初期短編集

平和通りと名付けられた街を歩いて―目取真俊初期短編集


『平和通りと名付けられた街を歩いて』 

 汚物、むき出しの老女の性器、その向こうにいる天皇(皇太子)・・・・・・。
 1983年、皇太子(現平成天皇)の二度目の来沖のため、那覇には厳重警備が敷かれ、少年カジュの祖母で「痴呆」のため街を徘徊する老女のウタは自宅に軟禁されてしまう。しかしかつて沖縄戦で長男を失い、戦後派女手一つで生き残った子どもたちを育ててきたウタは自分を押さえつけようとする力を跳ね返し、誰もが状況に抵抗できない中で一人皇太子に立ち向かっていく。
 最後、一人ウタを連れてヤンバルに向かうカジュが窓越しに見たのは、広々と広がる米軍基地のフェンスとその中で笑う米兵であった。戦争は終わっていない。正気を失ったウタのたった一人の闘いを目撃したカジュにその闘いは未来の沖縄で継承されただろうか?



『魚群記』 

 かつて復帰前、沖縄には多くの台湾女(イナグー)という台湾からの出稼ぎ女性労働者たちがいた。沖縄の復帰、そして日中国交正常化の時代の中で、彼女らは台湾に帰り、沖縄の公の記憶の中でその存在を思い出されることもなかった。
 目取真俊はそんな記憶のポリティクスに抗うように、少年主人公の目を通して、忘れられた彼女らの姿を活写する。ここで目取真俊が本土の沖縄観だけでなく、沖縄内部にある記憶の欺瞞も暴いていることがわかる。
 注目すべきは、主人公の兄が(父も)、復帰運動に積極的に関わり労働運動も熱心に行う理想に燃える青年であるのと同時に、同じ工場で働く台湾女たちの運命には無関心で彼女らを性的な視線の中に囲い込んでいる点だ。これは何を暗示しているのか? 復帰運動の問題点は今日では多く論じられているが、ここでは復帰運動が何を切り捨ててきたかを問うている。そして沖縄の男たちと台湾女たちの間にどんな関係があったのか、という点も。


 目取真俊は何に抗おうとしているのか。それは沖縄を「癒しの島」などといって米軍基地を押し付けたまま自己に都合いいように囲い込もうとする日本の視線と沖縄内部にある都合の悪い記憶の忘却であるように思えてならない。


 ちなみに表題作の『平和通りと名付けられた街を歩いて』には、こんなおもしろい論文があった。<不敬文学>なんてのがあるんだね。

目取真俊の不敬表現−血液を捧げることへの抗い−」
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_22-4/RitsIILCS_22.4pp.153-166Tomoda.pdf

*1:いずれアナウンスします