『琉球血涙新書』って?


 最近知ったのだが、20世紀初頭、ベトナム独立運動家で革命家のファン・ボイチャウ(1867〜1940)が『琉球血涙新書』(1904年?)という一種のパンフレットを発行していたらしい。
 ファン・ボイチャウはベトナムでは独立の父と呼ばれる民族の英雄*1。そんな人が琉球・沖縄について言及していたとは・・・・。しかもこの書を発表したことで彼は一躍独立運動の旗手になったというから、一沖縄住民としてはなんだか感慨深い。


 ファン・ボイチャウは、日露戦争で日本が勝利したことで、アジアの国でも欧米列強に勝てることを知りたいへん勇気づけられ、戦勝国日本に憧れてベトナム独立に力を貸してほしいと頼んだり、若者を日本に留学させる運動(東遊運動)を展開させたりした人物というふうに日本においては紹介されている。
 日露戦勝の勝利によって日本はアジア独立運動の希望になった(←しかしそれと同じくらい、あるいはそれ以上にロシア革命だって独立運動の希望となったはずだが・・・)、あの戦争はアジア解放の聖戦だった、という歴史認識の方にウケがよさそうな人物である*2


 が、彼は一方で『琉球血涙新書』という本を著していた。
 『血涙』という題名から察せられる通り、かつて同じ中国下の朝貢国だった琉球王国がいかに亡国となったか、その下で琉球人民はいかに塗炭の苦しみをなめているかを克明に描写しているらしい。そしてベトナム人琉球王国のような亡国の民とならないために立ち上がらなければいけない、と主に知識人階級に呼びかけた書だという。
 この少し前、琉球処分に直面し滅亡の危機にあった琉球王国の人々は日本に抵抗していた。その一貫として中国に渡り救援要請を出すなどしていた。ファン・ボイチャウが滅亡の危機に瀕する琉球のことを知ったのもこのような動きの中だったと思われる。


 ファン・ボイチャウは前述した通り、日本での紹介のされ方を見ると確実に「親日家」と呼ばれるだろう。
 だがその一方で、日露戦争の後でさえ、日本によって滅亡させられた琉球の民の悲惨な様子を告発するような本を書いていた。
 いったいこれをどう評価すればいいだろう。


 ここで一つ大きな問題がある。
 実はこの『琉球血涙新書』は、かつて実在したことは確かなのだが、現在この本自体は一冊も残っていないので正確な内容を確認できないのである。わずかに見つかった断片や当人・関係者の回想録などによってほんの一端が知れるのみである。
 そのわずかな情報のみで、ファン・ボイチャウの対日・対琉球観を巡って沖縄の学者と日本の学者の間で異なる見解が出ている。


 潘佩珠*3にとって、琉球王朝はヴェトナムの阮王朝とともに、古来清朝を頂点とする中華冊封体制を構成した王朝であり、琉球王朝の崩壊は他国の問題ではなく、冊封体制下の言わば兄弟国の緊急事態であった。だから潘佩珠は琉球王朝の崩壊に「社稷滅亡の惨状」を見てとり、フランスの侵略にあえぐ自国の現状と対比しながら、宮廷内部の愛国者に訴えるべく『琉球血涙新書』を著し、ヴェトナム独立運動への参加をよびかけたのである。(中略)
 まさに彼ら*4の行動が日本国内はおろか沖縄内でも異端として歴史の暗闇、荒野に放逐され、閉じ込められたその時、ヴェトナムにおいて彼らの行動を受け継ぐかのようにファン・ボイチャウは、『琉球血涙新書』を著したのであった。(『アジアへの架橋』比屋根照夫/沖縄タイムス社)


 ある沖縄の学者はこうまとめている。この見解によれば、ファン・ボイチャウは亡国の民となった琉球の人々にいたく同情しているということになる。いや、フランスか日本かの違いはあれ、ベトナムと「兄弟国」の琉球は強国に虐げられるという同じ苦しみを生きているのであり、琉球の人々に対して共感共苦の感情を抱いていると言える。
 彼がそのように琉球を同じ虐げられたアジアの同胞と見ているなら、その共感の深さに比例して虐げる者への憎しみと怒りも強いはずである。すなわち彼はフランスを憎むのと同じように、琉球を支配した日本をも憎んでいるということになる。
 であれば、「親日独立運動家」という日本人にとって心地良い彼の評価は再考される必要がある。

 が、ある日本の学者は、こう評価している。

 逆にいえば、日本を含めた植民地主義列強は、アジア「同病」の諸民族の敵ではあるが、だからと言って、それら列強の来し方行く末を全面的に否定するものではなかった。ファンが求めていたのは、ベトナムを「亡国」の屈辱から救出することだけではなく、さらには日本や欧米列強に匹敵しうるような国とすることであった。(中略)
 さらにはまた、もはや「自救」能力をもたないと判断する民族にたいして、ファンはきわめて冷淡な態度を示す。たとえば日本に「併合」された琉球ベトナムに「経略」されたチャムやクメールを、自分たちが連携すべき対象と見なすような視点は、彼にあってはきわめて希薄だったのである。(『アジアのアイデンティタィー』白石晶也/山川出版社


 この見解によれば、ファンは琉球に対して何ら同情をしていない。彼はフランスを憎むが、それはあくまでベトナムを侵略したからだけであり、その帝国主義植民地主義自体を批判しているわけではない。代わりに彼はフランスの侵略を許したベトナムの弱さ、後進性を嘆く。
 このような観点からすれば、琉球が滅亡したのも強くあれなかった琉球の自業自得ということになり、その惨状はベトナムにとっての反面教師という以上の意味を持たない。それはつまり日本の琉球併合を追認し、琉球の悲惨な運命を当然と見なしているということになる。
 帝国主義植民地主義を批判せず、ベトナム以外の民族の苦しみなど知ったことではないというなら、琉球が日本によって悲惨な目にあっているという認識を持ったまま日本に憧れを抱くのになんの矛盾も生じないだろう。だが、強国が弱国を踏みにじるのを追認し、自国もその仲間入りをしたいという認識で行われる独立運動とは、革命とはなんなのだろう。


 本文は失われていても『血涙』という題名からそこに琉球の悲惨な現状が書かれているのは推測できる。そしてベトナム人であるファンが、その琉球の前例から、ベトナムも同じようなことになってはいけないと考えていたのも確実だろう。
 問題は、では「琉球の悲惨」、それ自体に対してどういう感想を持っていたかである。共感共苦であったのか、軽蔑であったのか、それはベトナム独立運動のあり方にも大きく関わる問題であろう。


 それにしてもこの『琉球血涙新書』をなんとか見つけることはできないものだろうか。本文が見つかれば、実際ファン・ボイチャウがどんなことを考えていたかわかりやすくなるだろう。しかし残念ながら、ベトナムの研究機関でさえ発見できていないようだ。
 フランスもベトナムから撤収する際大量の文献を持ち帰ったので、もしかしたらその中に入っているかもしれないが、植民地時代の文献はまだほとんど未整理で探し出せない状態である。
 可能性として中国の図書館に眠っていることも考えられる。そもそもこの本は上海の印刷所で印刷してもらったというのだから。
 なので原文を探す人々は現在ファンの子孫や中国の文献に当たっている最中らしい。無事手がかりが見つければいいが、内容がなんであれ、<失われた文献>を探すなんて作業聞いているだけでワクワクする(笑)というか、それ自体ひどく楽しそうである。
そんな仕事をできる人が実にうらやましい。

*1:当時ベトナムはフフランスの植民地だった

*2:もちろんファン・ボイチャウはじめ独立運動の志士が主観的に日本に希望というか幻想を抱いていたことと、日本人がそのことをもって「日本はアジア独立の希望だった」と自己認識することの間には暗くて深い溝がある。

*3:ブログ主注:ファン・ボイチャウ

*4:ブログ主注:日本の併合に抗した琉球の人々