『沖縄集団自決「軍の命令だった」 地元誌が特集』(1)


 上記のタイトルはパロディです。


 夏コミの原稿が切羽詰っていて全然ブログ更新できません(そのわりには原稿も進んでないけど)。とりあえず続いてもいいから(どうせ長いし)書いた分だけでも投下しておくことにしました。原稿がひどい状態なので、続きがいつになるかわかりませんが。


 さて。
 全国新聞である産経新聞が沖縄は浦添市文化協会が発行している文芸誌「うらそえ文藝」などというローカルもいいところの雑誌を取り上げた。何故ならこの文芸誌が企画した特集で「「集団自決」は軍命ではない」という論文が載ったからだ。

「沖縄集団自決「軍の命令ではない」 地元誌が特集記事」
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090610/edc0906102117005-n1.htm


 ……なんと言うか、最初にこの記事を見た時の感想は「サンケイ必死だな」の一言に尽きる。前述した通り「うらそえ文藝」は一自治体の文化協会が発行するローカル文芸誌に過ぎない。もちろんローカルだからどうこうではない。「うらそえ文藝」は沖縄県内ではそれなりに有名で興味深い特集をたびたび組んでいる。しかし天下の産経新聞が取り上げるなどはちょっと異様なことだ。
 産経がこの雑誌に目をつけたのは、軍命否定の論文が載ったからだが、わざわざこんなローカル雑誌まで動員するとは、よっぽど他にいい軍命否定説がないのだろうかと思ってしまう? 必死すぎる。


 この産経の恣意的態度、および「うらそえ文藝」に載った軍命否定説への批判は以下のブログを参照して欲しい。

・[産経ヲチ][戦争][沖縄]「集団自決」問題について(また)産経と世界日報が華麗なコンボ
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20090611/1244689378
・うらそえ文藝を読んで、その1
http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-54.html


 さて実を言うと、私は「うらそえ文藝」の当該記事を読んでいない。一応読んでから書こうと思ったがそうしているといつまでも記事が書けないし、私の書きたいことはその論考の内容に対してではなく、産経新聞がこれを取り上げたことそれ自体であるからだ。


 何故彼らはこんなローカル雑誌に目をつけたか? それだけ他にいいネタがないという理由の他に、彼らは「地元誌の特集」という点に価値を見出したに違いない。例えばこの論者たちがまったく同じ内容を富山県やら北海道やらあるいは大阪の地方文芸誌に載せたからといって、はたして産経新聞は取り上げただろうか?
 彼らにとってはおそらく他ならぬ地元誌が行ったことに意味がある。「地元」も軍命がなかったことを認めたぞ! という印象を与えられるからである。「うらそえ文藝」で二名の論者が軍命を否定したからといって、それは地元が認めたことにはちっともならない(しかし「地元が認めた」とはどういう状態を指すのか?)。だが大事なのは印象なのである。


 2007年、約10万人が集まった沖縄県教科書検定に対する抗議集会。その直後から、ネットを中心にさまざまな反動が起こった。その中でよく見られたパターンの一つに「これは地元の意思ではない」というのがあった。例えば

・集会に集まったのは本土の活動家たちである。
・焦点となっている渡嘉敷・座間味の人々は参加していない、彼らは赤松隊長らにむしろ感謝している。
・参加している老人は騙されて参加させられた。

などである。むろんすべてデマである。しかしなぜこれらのデマが県民集会に打撃を与えるものとして流布するのか?
 

 仮に本当に参加者のほとんどが本土の人々だとしよう。だがそれのいったい何が問題なのか? 「集団自決」は日本軍に関連することであり、沖縄戦は本土の捨石作戦だと規定すれば、本土の人々がこの問題に関心を寄せ、積極的に関わろうとするのは当然ではないか。そして彼らはなぜそんなにも「地元」が参加していないことを願うのか?
 
 
 約10万人の集会、これは軍命否定派の人々を少なからず恐れ慄かせた(彼らは否定するだろうが)。彼らはおそらく以下のような夢想をしてわずかに安心を得る。
「まともな「地元」の人々はこんな集会に参加しない、彼ら「地元」の「一般の人々」はバランスの取れた良識を持っており、さらに「集団自決」の真実(軍命はなかった)を理解しており、むしろ感謝している。参加するのは部外者で彼らは偏狭な政治思想(この場合「反日左翼」「プロ市民」か?)を持った人々で自らのイデオロギーのために沖縄を利用しているのである。そんな人々の言うことに耳を貸すことはない」という夢想。


 明らかに「地元」という言葉に彼らは一定の「権威」を感じている。「地元の人」が「軍命はあった」と言えば彼らは少なからず同様するし、逆に「地元の人」が「軍命はなかった」と言えば、彼らは「ほら、やっぱり」と思って安心する。何故なら地元の人だってそう言っているのだから。
 産経がわざわざ「うらそえ文藝」を取り上げたのもきっと似たようなものだったと思う。彼らは「地元誌」という言葉が持つ権威、あるいは権威があるという幻想が持つ効果を期待してこのような書き方をしたのだろう。


 だがここでもう一つ疑問がある。彼らは何故「地元」をそんなに祭り上げるのか? 確かに当事者の証言というのは研究において極めて重要である。だが、それは重要であるが、歴史を検証する上での一つの要素に過ぎない。歴史的に妥当な結論は、いくつもの要素を総合的に検討して出されるべきである。いったい「地元」の人が「あった」「なかった」というだけで変わってしまう史実とは何であろう。だいたい今回のことは、ある二人の論者が「命令はなかった」と主張している、それ以上でもそれ以下でもない*1


 さらに言えば権威がある、いや権威を付与される「地元の人々」になるのもけっこう大変である。この場合「沖縄県民」であることだけでは、彼らの言う「地元の人々」の用件を満たさない。次回はこの件を少し検証していきたい。
何故『沖縄集団自決「軍の命令ではない」 地元誌が特集記事』というのは記事になっても『沖縄集団自決「軍の命令だった」 地元誌が特集記事』は記事にならないのかについて。

                                    (続く)

*1:むろん彼らの主張自体は検証の対象になりうる