「疑う心と信じる心のどちらかが力尽きるのを待った」


 不定期にある悪夢を見るのです。
 
 あまり自分に即したことを書くつもりなかったのですが、とても辛いので吐き出し用に。
 以下、本人以外意味不明(意味を通じさせるつもりもないし、通じるものでもないので)のグチ。
 ちなみにタイトルは中島みゆきのアルバム未収録曲「捨てられた猫のように」の歌詞。・・・どちらかの前に私が力尽きそうだ。



2年前、あることを知って以来、それが心に重く沈みこんでいる。
昼間、何をしていてもそれに関連する単語を聞いたり見たりすると(しかもそれ自体は日常的に身近にあるものだ)、それに触発されて私の意志に関係なく思い出して、ひどく憂鬱で息苦しくなってしまう。
 それでも最近はショックも薄れたのか、思い出してしまったとしてもすぐに別のことを考えて気を紛らわせたり、あるいはその原因となった情報に簡単な反論を頭の中でして押さえつけられるようにはなった。
 でも時々、その悪夢を見てしまう。
 そんな時は朝目覚めて夢の詳しい内容を覚えていなくても、なんとなくその夢を見たのだとわかる。
 朝からなんとも言えないような不安と息苦しさがあって、そのことばかりを考えてしまう。考えたくもないのに、考えやめてしまうほうがもっと不安で落ち着かない気分になってしまう。そんな時は一日中辛くて、それでも時間とともにそれが薄れてくれるのを待つばかりだった。

 昨日もその悪夢を見た。ちょうどそのことを思い出すようなことが、一昨日あったばかりだからだろう。
 今回はひさびさに、自分でもやばいと朝から思った。なんか風邪でも熱でもないのに、ただそのことを考えるせいで身体はふわふわしているし、顔はちょっと蒼ざめているし、吐き気はするし。
 まあ、それでも外で活動できたのだから別にたいしたことなかったんだろうが、完全に心ここにあらずで、身体がひどくふわふわしているような不安定な状態だった。歩いていて電柱にもぶつかったし、よくスリの標的にならなかったと思う。
 頭の中ではずっと私をそんな状態にした二年前のショックについてそれを否定するための反論大会が開かれ、考えすぎてまた吐き気がしてくる。そもそも何も考えなきゃいいのだが、それこそできない状態だった。
 傷口が気になって掻き毟ってしまって痛くてたまらないのにそれを何故か止めることができないような心理ってこんな感じかね?

 まあ、それでもいつもは一日もすれば痛みも引くのだが、今回は何日か続きそうな気配。
 これ書いたら少し落ち着くかな?
 しかもさらに憂鬱になるのが、たとえいつも通り落ち着いても、またしばらくしたら同じ悪夢見て同じ状態があと何年も何度も繰り返されるってことだよな。
 人になんと言っていいかわからない悩みだし、そもそもなんでそんなことが悩みになるのかわからないだろう。実際、いつもこんな状態になったらネットを巡って何か自分を落ち着かせてくれるような意見はないか探すのだが、たいていそんなことが悩みになる自分が馬鹿だということしか確認できない。


 ・・・特に私を憂鬱にしたのは。
 この問題とはいつかちゃんと闘わなきゃならんな、とは思っていたし、そのつもりだった。
 でもその問題と向き合うこと自体が苦痛だし、その苦痛の中でいろいろ考えを巡らせなきゃいけないことを考えただけで疲れる。
 だからいつもそのことを思い出しても「いつかちゃんと向き合うから」ということで、今はいったんその悩みを落ち着けるということを繰り返してきた。
 だけど・・・よく考えたら、私がその問題と闘うために必要な準備の一つは、中国にいる今のうちにやったほうが便利なことだった。・・・ということは、もうあといくらも中国にいないから、少なくともその一部のことは今すぐやらなきゃならないことで、そのためには「いつか向き合うから」と先延ばしして考えることも拒否していたことに今すぐ向き合わなきゃならないってことに気付いた・・・
 欝だ・・・・・・。
 とりあえず悩んでいる時間はないので、そのために必要な書籍をアマゾンに注文しといた・・・見るのも手元に置いとくのも嫌な本なんだけどね、部屋にあったらノイローゼになりそうだし・・・・・・。
 その本が届く一週間後にはまたひどく欝になっている予定です。

 しかし歯医者が嫌でも行かないと歯の痛みが治らないっていうのと同じだしね。
 でも歯医者に行っても痛みが治らなかったらどーすればいい?
 自分でも有罪かもしれないと疑っている人の無罪を主張しなければいけない虚しさ、しかも不利すぎて負けるとわかっている法廷に立たなければいけないような虚しさにも似たことを自分がやろうとしている気がして・・・それもまた欝だ。