そうだ、武漢行こう(追記あり)


 中国でも5月1日から5月5日までは、大型連休です。
 もちろん憲法記念日やらなわけではなく、5月1日はだから「メーデー」だから。そして5月4日は子どもの日ならぬ青年節だからお休み。

 私はまだ自分の住んでいる街もよく把握していないので、この連休中に街を見てまわるのもいいかと思ったが・・・・・・いかんせん、貧乏根性なもので大型連休に地元(?)でうろうろしているのも何か虚しく思えてしまう。

 というわけで。

 武漢に行ってきます。

 いや、金はないんだけど・・・・・・ずっと行きたかった湖北省とその省都武漢にこの際思い切っていってみようかと。
 特に、先日いつもお邪魔しているブログで出張で武漢に行ったことが語られているのを見て以来、武漢熱が上がってしまって。
 中国の三大カマドと言われる武漢も今の季節ならわりと過ごしやすいだろうし。


 とりあえず行きたいところは

・抗日戦争中*1郭沫若が指揮し、日本人女性・長谷川テル(緑川英子)が日本兵に向けて反戦放送を行った「政治部第三丁」跡。日本人反戦同盟関係のものが見れるかな?

・1925年に起きた中国最大のものであり、軍閥と列強に血の弾圧を受けた京漢鉄道2.7ストライキを記念した「2.7記念館」。

・毛主席が泳いだとこ(笑)とよく泊まった東湖賓館(毛主席関連グッズだらけらしい)

あと


・十大元帥であり、林彪事件で失脚した林彪の生まれ故郷「林家大ワン(湾の左偏が土の漢字)」
 せっかく武漢まで行くのだから(って言うか私が武漢行きたい最大の理由も林彪の出身地であり、彼が十代の頃を過ごした場所だからだけど)、ここにはぜひ行きたいが・・・・・・調べてみると武漢からはずれただいぶ山の中なんだよね。
 しかも反革命だから、他の革命家たちの出身地みたいに観光整備されてもいない。一応、「県」*2レベルでは観光地として紹介されているが。*3まあ、林彪の建国前に亡くなった二人の兄(実際には従兄弟だが、実質兄弟)も党の幹部クラスで、こちらは立派に烈士認定されていて、その二人の生まれ故郷でもあるし。
 自力で林家大ワンまで行った、という中国人のブログを読むと、やはり武漢で自分で車をチャーターしていくのが確実らしい。武漢から車で約1時間半ほどだという。・・・・・・私にはちょっとハードルが高いな・・・・・・。
 で、意外と言うかやはりと言うかな点は、反革命・大叛徒の林彪の生まれ故郷は、一部ディープな近現代史マニアあるいは軍事マニアの中国人の間で隠れた観光地となっているようだ。言ったという人はけっこういるし、ブログに掲載された写真を見ても、けっこう観光客らしき人たちの姿が写っている。
 武漢の旅行会社も団体限定でツアーもやっているらしい(笑)・・・まあ、公式にはともかく、それなりに有名ポイントらしいので、この分なら車をチャーターできればすんなり行けそうだ。

 ただもう一つ問題がある。
 日中戦争中に、この林家大ワンもまた日本軍の被害を受けているらしい。
 で、おそらく日本人観光客でそこに行った人っていうのはほぼいないだろうし・・・たぶん私が日中戦争後そこを訪れた初めての日本人かもしれない。
 こういう日中戦争で被害を受け、それ以来一度も日本人が来たことがない郊外の村、という場所が思わぬトラブルが発生する可能性が高い。・・・・・・まあ、98%の割合で何も起こらないとは思うが・・・・・・。

 とりあえず武漢で様子を見て、どうするか決めるかな。


追記
林彪(と二人の兄)の故郷、林家大ワンに関する情報を集めてみた。

・毎年12万人が観光に訪れる→ええ!! ・・・・・・まあ、中国で12万人/年と言うのは少ないのかもしれないが、立派に観光地やん。これなら武漢の運転手さんも場所がわかるかな。

反革命・大叛徒の林彪の故居が、観光名所と化していることについて。→ある中国人ブロガーによれば政府などは「不支持、不干渉、(援助)不投入」の態度でいるという。つまり見てみぬふり、黙認。・・・・・・でも林家大ワンのある団風県の公式HPには、観光名所としてしっかり紹介されているが・・・・・・。まあ林彪だけではなく、彼の兄で革命英雄である人の出身地でもあるから問題ないということだろう。HPで二人の兄については「革命家」と紹介し、林彪は「著名な軍人」と紹介しているあたりがおもしろい。
 ところで一部のブロガーの報告によれば、他の「愛国教育基地」と違って公的な管理・援助の外にあるため、この地での観光産業はかなりカオスな状態に。一言で言えば参観料の取り方が「ぼったくり」に近いと言う。・・・・・・まあ、無料または安価が基本の「愛国教育基地」と違って、地元の人だけで管理運営しているのだから、少し高くなっても仕方ないだろうが。

・日本軍の蹂躙→調べたところによるとこの村は少なくとも二回、日本軍によって被害を受けた。
 一度目は1938年1月。2名の日本兵が村の娘を強姦しようとしたため、村人達はこの2人の日本兵を殺した。その日のうちに100人近い日本軍の部隊が「報復」のためこの村を襲い、多数の村人を捕らえて拷問し、最終的に69人の村人を殺した。さらにいくつかの家に放火し、80歳の老婆が逃げ遅れて焼死した。
 二度目は1939年6月。この時は村人は山に逃げて無事だったが、日本軍は30軒に満たない村の家のうち、18軒を焼き払った*4
 ・・・・・・う〜む。おそらく日本軍は何か残虐なことをしただろうとは思っていたが・・・・・・予想以上の規模だ(このくらいの規模の蛮行は多くの村で行われていたが、この林家大ワンでここまでやったというのは予想を超えていた)。行って大丈夫だろうか?

*1:南京が陥落した後、武漢は中国の臨時首都だった

*2:中国の行政単位は「省」「自治区」>市>県>鎮

*3:林家大ワンがある「団風県」のHPでは紹介されていたけど・・・行き方が書いていない

*4:この時、林彪に関係のある家が集中的に狙われたこと、漢奸の中国人が案内してきたことなどから、一度目の「報復」と違い、日本軍は漢奸の中国人からこの村が共産党軍の幹部・林彪の故郷であることを知ってそれを理由に蛮行に及んだのでははないか?