林彪の生まれ故郷に行ってきた(写真追加)

 湖北省武漢に行ってきました。
 そして、中国革命で活躍した軍人であり、毛沢東の後継者に指名されたけど、いろいろあって林彪事件で死亡し、今は反革命・大叛徒という評価を受けている、ついでに中共が誇るツンデレ・ブラコン・無口無表情キャラである林彪の生まれ故郷に行ってきました。
 場所は、湖北省省都武漢から車をとばして約2時間の黄岡市団風県*1にある村・林家大湾*2


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 以下、簡単に。


 林家大湾には、3つ(+1)の見所があります。

林彪故居
・師門(林彪の父母の家)
・林育南故居
・林育英(張浩)故居

 まず、「師門」から。

 ここは、あたかもここが林彪の家であるような誤解を参観者に与えるような感じになっていて、ちょっと詐欺気味なのだと思うのですが、実際には「林彪の父母と兄弟の家」で、林彪の家は別にあります。
 と言うのも、林彪が生まれた時、家はけっこう貧乏だったのですが、彼が進学や革命のために林家大湾を出て行った後、父親の事業が成功お金持ちになったので別の場所に建てた大きな家が、この「師門」なのです。
 「師門」が建ったのは1936年。しかし林彪は1927年以来、一度も村に帰っていません。なのでこの「師門」はとても林彪関係のものとは言えないんじゃないかと思いますが・・・・・・まあ、中は資料館みたいになっているので、資料館だとわりきればいいか。

 亀。
 なぜか部屋の中に穴が掘ってあって、しかもその真上の天井にもぽっかり穴が開いていました。他の家も同様だったので、何かと思っていたら、雨水を貯めるためのものだとのこと。
 しかしこの亀と魚は? 何か風水的な意味でもあるのか?
 
 なにはともあれ、かわいいですね。
 そう思って見ていたり、ひっくり返った亀を助けてやっていたりしたら、突然一人の男の人がやってきて、中の魚を手づかみで捕まえた。
 そして彼はそのまま隣接する厨房に・・・・・・

 食材だったのかー!!

「師門」の中。
 参観客がいっぱいで驚いた! ガイドさんまでいたよ。
 ちなみに亀は、この銅像の前にいました。 


 続いて林彪の従兄で中国共産党最初期からの党員である林育南*3の故居。
 林育南,林育英,林彪は互いに従兄弟同士だが、その親密な関係と中国革命にそれぞれが果たした貢献から「林氏三兄弟」「林氏三烈」と呼ばれている。

ここは、「師門」や後の「林彪故居」とは違って、林育南が生まれ育った時の家が基本的には残っている。
 何も説明には書いていないが、私は林彪がこの大好きな従兄弟のお兄ちゃんのところに毎日でも通っていたことを信じて疑っていない(痛い人)。

 

 さて、その裏手には、本命の「林彪故居」に。
 実は、「林家大湾」の村に入った時点で20元の参観料を取られているのだが、この「林彪故居」の参観にはまた別途に5元支払わなければならないらしい・・・・・・。

 


この「林彪故居」は、林彪が全盛期だった頃、「林副指令故居」として参観者が山のように訪れていた。
 しかし、林彪事件林彪が徹底的に失脚,批判された時にここも破壊され平地にされてしまったという。林彪失脚後は、この林家大湾にも多くの災厄が降りかかったとも聞く。
 なので、今あるのは復元したもの。

 そしてその家の奥には、中国の他の場所ではとても見ることができないものが・・・・・・。

 


 こ・・・・・・これはいったい(汗)。
 なんでもとある老人が寄贈してくれたものらしいが、その老人は何を考えて金ピカ林彪を作ったのか?
 他にも等身大銅像とか、遺影にしか見えない写真があったりしたな・・・・・・。


 最後に林彪のもう一人の従兄弟、林育英(張浩)*4の故居。
 林育英の家は林家大湾から300メートルほど離れた隣村にある。特にそんな資料はないが、林彪は少なくとも二日に一回は育南の次くらいには大好きなこっちの従兄弟のお兄ちゃんの家にも行っていたであろうことも私は固く信じている。(本当に痛々しい)

林彪の家の周囲は、本当にびっくりするほど参観客が多かったのだけど、ここはひっそりとしていて、その時は私たちしかいなかった。
 少なくとも80歳は余裕で過ぎているおばあさんが、杖を突きながらいろいろ説明してくれたのだが、どうもこのおばあさん、林育英の妻の弟の子孫だという。・・・・・・もしかして年齢的に考えて孫娘とかではなく、娘なのかもしれない。
 ちなみにこの家は「愛国教育基地」として認定してくれるよう申請したことがあるらしい。結果はよくわからないが・・・まあ、たぶん認可されていないだろう。


 というわけで、一通りの見学終了。
 来るまでちょっと心配していたが、かつての日本軍がこの村で行った蛮行を巡るトラブルも起こらなかった。
 たくさんの参観者の中にまぎれていたし、直接に普通の村人を接触することもなかったこともあるだろう。ただ、林育英故居で参観料(ここでもまた取られます)を払って中に入った時、後ろでチケット売りの人たちが「日本人、日本人」と言っていたような気がしたが・・・どちらかというと珍しがっていたように思える。

 それにしても、自分もとうとう林彪の生まれ故郷まで来てしまったか・・・・・・。次は死んだ所? ってモンゴル?


 最後に、林家大湾でのんびりしていた牛でも見てなごんでください。

 

*1:中国の行政区分は省>市>県

*2:本当は「湾」の左が「土」なのだが、この漢字は出てこない。なおこの漢字は「谷」と同じ意味であるので林家大谷と言ってもいいかも

*3:1898年生まれ。1920年代初めの湖北の学生運動・反帝運動の指導者の一人。結成一ヶ月で入党してからは、主に労働運動を指導し、従兄弟の林育英と林彪を革命に導く。1932年、国民党に捕まり処刑される。当時の党中央の方針に反対していたため、密告されたのではないかという説が有力。

*4:1897年生まれ。従兄弟の林育南の社会運動をサポートし、共産党に入党。育南とともに林彪を中国革命に参加させる。1935年、張浩と名を変え、モスクワから8.1抗日民族統一戦線宣言を長征中の党中央と紅軍に届けた。1942年、延安で病没。