コザ暴動翌日、1970年12月21日沖縄タイムス「記者座談会」(2)


背景と反響

B:なんといっても”糸満の婦人れき殺事件”に対する米軍の無罪判決が怒りくるうグループパワーの原因だと思う。群集は異口同音にあれは人種差別だと叫んでいた。アメリカ人は沖縄人をひき殺しても無罪かーの声がとんだこともたしか。今度の暴動では警察側もまったく阻止する理由がなかった。警察官の中にもこの暴動に共鳴していたのもいた。このため、暴動は成り行きまかせで、群集も警察官の目の前で堂々と沿道の外人車に放火、MP隊への投石をくりひろげていた。
C:今度の事件は戦後二十五年間に及ぶ米軍の不当な沖縄統合に対する住民の不満が爆発したものではないか。糸満の婦人れき殺事件の影響も大きかったと思うが、これまでの婦女暴行事件、殺人などあらゆる米軍の犯罪に対する反感だと思う。この暴動事件を機に米軍は大いに反省すべきだ。
E:責任は米軍にある。事件の背景は米軍の交通事故における一方的な取り扱いだ。これまでの米人と沖縄人との交通事故はほとんど、米人の立場を正当化させようとしている。タクシー運転手の間ではMP隊の事故調査に対し不満が高まっていた。
B:まず、この騒ぎは起こるべくして起こった感じだ。糸満の主婦れき殺事件の記憶が生々しかったこと。それに毒ガス撤去運動が盛り上がって、県民の反米感情がうっ憤しており、一触触発の情勢があった。
D:うん、それに時間、場所ともに騒動発生の最適条件を持っていた。場所は中の町の飲食街の近く。土曜の夜、飲み客、バーテン、ホステスと夜間人口が最大限にふくらんだ時間のため、人が集まりやすかった。
A:アルコールが入った人たちはちょっとした刺激にも爆発しやすかったことはあきらかだ。それに米軍側も、この種の騒動に神経過敏になっており、事件発生とともにパトカーを多数現場へ急行させた。これも群集に無用の刺激を与えたに違いない。
G:数千の人間が集まり、いったん火がつくと、群集心理がますます燃えさかるのは理の当然だ。先にだれかがいった「二十五年間の屈辱という油」が火勢を強めたといえるね。
C:米軍に対する、うっ憤した怒りが、自然発生的に爆発しただけに、今後は、少しの事件でも、合理的処理を回避すると、連鎖反応的に、しかも恒常化するおそれがある。それが続くと、強力なアジテーターがあちらこちらに出てきて、計画的なものになることもありうる。そうなると、従来の沖縄のいわゆる『民主主義』問題もこれまでのそれとは異なり、根底的な問題にまで発展しかねないだろう。
D:一部では、琉球警察が前面に出た時もあったが、事件の発端が対外人事件だっただけに、普段のデモ規制のような強硬策は見られなかった。たまりかねたのか、MP隊が前面に躍り出たことは、沖縄の戦後二十五年間の支配構造を浮きぼりにし、象徴的事件だったようだ。
C:群集の誰に聞いても糸満の主婦れき殺事件を口にしていた。だから米軍に対する積もり積もった不満が大きな原因だと言えるだろう。それと群集心理が結びついて騒ぎが大きくなったと思う。
D:しかし取材中、どうしても頭を離れなかったことがあった。一般的に見てコザといえばすぐ、「基地の町」だ。今度のような騒ぎになれば、米軍は完全にオフリミット*1にするだろうし、全軍労*2デモの例からもコザの町でどうしてこういう騒ぎがおきたのだろうと不思議だ。
B:ゆかたで出てきた四十歳ぐらいの男は「二十五年間軍事支配の下で差別をしいられてきた沖縄人の不満の爆発だ。このくらいはむしろ当然の行為だろうーと吐きすてるように話していた。そのほかに中の町というところが比較的外人客が少ないということも騒ぎを起こしやすくしたのではないだろうか。今度の騒ぎでは水商売らしい若者の姿がかなり見うけられた。ところが第二ゲートからセンター通りに三百人近く流れていったが、Aサインの業者が説得してやめさせていた。
E:今度の騒動は、組織による計画的なものではないにもかかわらず、一貫して統制がとれていたと思う。というのは直接、行動にタッチしたもの、背後で声援を送るもの、心情的には同一であったということだ。そのところが大きな特徴であったと思うが・・・・・・。もちろんその背後には戦後二十五年の異民族支配、その中で相次ぐ米軍の横暴といったものを住民一人一人が体験として持っているわけだ。そして今もなお相次ぐ不当な裁判、群集の中に共通して流れているところのどうにも押さえることのできない”不満””怒り”がひとつの事件をきっかけとして露呈したものだと思う。行動の端緒といったところで、すさまじい勢いの渦が群集の中を吹きぬけている感じが強い。
C:一部には、たんなる暴徒の仕業との見方もあるが、暴徒の仕業だとしたら、あれだけ多人数の住民が、恐怖を抱くはずのところを反対に声援を送っているということはおかしい。ヤジ馬をふくめて直接手を下しているわけだ。地元の基地関係業者の間では早くも、一部の暴徒説が口にされている。それでも片づけようと思えば片づけられないこともないが、現場での群集の中の言葉は忘れることができないと思う。
A:例えば四十年配の「戦後二十五年は実に長かった。やっと来たるべき時が来た」その他「今だけだぞー、あすになればアメリカーが押し寄せるぞー」と絶叫する若い男。それにこたえて続く群衆の声・・・・・・。
B:直接、火を放った一連のグループの中には、たしかに酒を帯びている者が多かったことは事実だ。行動がエスカレートした点で酒の勢いもかなりあったことは否めない。これは取材中に目にしたものだが群集の一人一人が興奮していく過程としてとらえられたと思うのだ。現場で知人と会った。そのときは冷静に話していたが、それから二時間後のゲート付近を占拠したときに再び会った。そのとき彼は別人と化していた。怒り立った表情で「アメリカーの言いなりになるのはきょうかぎりだ」と激しい口調で叫び、投石を繰り返していた。



今後の問題

B:今後心配されるのは今度の暴動事件を機に、米人と沖縄人のとの対立感情が高まり、連鎖的に沖縄人と米人とのトラブルが起こるのではないかということだ。米軍がこの事件にどう対処して行くか大きな問題だ。
E:沖縄の経済が基地に依存していることから、基地経済にとっては経済的に深刻な問題となろう。実際、基地業者は米軍が今後、基地街におけるオフリミットを発令した場合、経済的に大きな打撃を受けることは間違いない。いまとくにコザ市民は”生命か””経済か”の二者択一の立場に追い込まれている。
A:今後、米人が民間地域に出入り出来なくなったら市民の生活が苦しくなることはたしかだ。コザ市の経済はAサイン業者でもっているようなものだから。
C:そうだ。もっとも打撃を受けるのはAサイン業者。コザ市ではAサインに落とす米兵のドルは一般市民の台所にも影響するとさえ言われている。六六年から六七年にかけて一時はベトナム戦争エスカレートで、米兵が著しく減少、Aサイン業者がひどく経済的打撃を受けたことがあった。コザ市民にとって米兵はドル箱みたいなものだ。それだけに、今後、コザ市民は経済的にどういう対策を取るか、注目される。
A:不思議なことだが、あういう暴走に対しても非難が少ない。これまで軍事優先の下で裁判権、捜査権が奪われ、米兵の犯罪による被害が後をたたずむしろ凶悪化していることに対するいらだちが、県民一人ひとりにひそんでいるためだ。この事件から教訓を引き出すとすれば、沖縄が負わされた政治的、社会的問題の解決以外にこの種のトラブルをなくすことはできない。
E:そうだ。群集は事件当夜、「糸満の主婦れき殺事件無罪判決の二の舞を踏むな」と口々に叫んでいた。それがスローガンとなっていった。あの夜のできごとは自然発生的だが、捜査権、裁判権の民移管、主権の回復の直接行動に立ち上がっていたのだ。厚い軍権力の壁に、暴動の形で不満と攻撃の意思表示をしていたともいえる。
C:騒ぎの中にいた若い青年は、記者をつかまえて「あすの新聞で暴動と書かれるだろう。しかし、最初のきっかけが人身事故がうやむやにされるのは、許せないとしてMPや警官から確約を取ろうという要求が、期せずしてその場にいあせた人たちからわきあがったことを理解してほしい。と訴えていた。これまで県民が正当な権利を奪われていたことに対する不満の爆発だ。したがって、政治や事後処理にあたる当局が、単なる暴動としてとらえたのでは問題の解決にならない。
B:反米思想は高まる一方だし、米軍はますます窮地に追い込まれたかっこうだ。この暴動事件で、まず米軍基地を沖縄から即時撤去することは考えられない。今後、米軍が民間地域と米人地域を切り離すのではないかという見方もある。しかし、実際問題として、困難な問題ではある。
C:コザ市民は復帰後、米軍が沖縄から引き揚げ、自衛隊に肩代わりするということに対しては経済的に何の期待もしていない。復帰にしろ、段階的な復帰をのぞんでいるくらいだ。現在、復帰後の経済自立が問題となっているが、その具体的な施策もなく、コザ市民の不安は大きい。コザの場合、八割余の基地収入に頼っており、沖縄経済の縮図みたいなものだ。
E:コザでは復帰不安が高まっている。ホテル業者の中には復帰対策としてホテルを民間アパートに切り替える人もいる。それは基地経済に見切りをつけているのだろう。
D:米軍は当然、オフリミットの手を打ってくるだろう。その場合、クリスマスという基地の街にとって一番の稼ぎ時だけに外人専門の店やAサイン業者は大きな打撃を受けることになる。騒ぎが沖縄人を相手にしている中の町で発生して輪を広げたというのが気がかりだ。あれだけの騒ぎの中ではAサイン業者がはいっていたが、どうか、はっきりしないが、もしそうでないとすると、中の町地区は一般住民との感情的な対立という心配も考えられる。
B:今度の事件は、これまで沖縄でひんぱつしてきた米人対沖縄人の対立事件の頂点ともいえるが、それ以上に米国の軍事優先政策の破たんの現れだと見るべきではないだろうか。いわゆる米国が、これまでのやり方を反省して、沖縄人の正当な人権を認めない限り、第二、第三の事件はいつでも、どこでも起こる可能性があるわけだ。
G:このことは米軍がこれまでとってきたようにオフリミットを実施すれば基地の町にとっては最高の報復かも知れないが、問題解決の最良の方法ではないということだ。沖縄の復帰も決まった現在、米軍は裁判権の民移管などこれまでの統治政策を改めなければならないだろう。
A:沖縄の戦後史は、米国の極東戦略と住民との格闘であり、そこから出てくる人種差別との闘争でもあったと思う。それを通して住民の権利が芽生えてきたが、こんどの場合も底流にはそれがあった。
C:アメリカの黒人差別は数百年も続いているが、サンフランシスコのワッツの”黒人暴動”では警察官の発砲に対し、黒人たちも銃で応戦し、商店をたたき割り、略奪が横行した。しかし、コザでの事件は、一般商店はとばっちりを受けたのはあったが、あくまでも、米兵、米軍MPに対する憤怒だった。このように今後ますます米軍に対する住民の権利意識、抵抗は強大になるだろう。
B:復帰後、沖縄に自衛隊が駐屯する場合もこんどのような事件が起こりうると思う。なぜなら島津藩の統治、琉球処分以後の本土が沖縄にとってきた歴史は、まさしく差別でしかなかった。また最近の中曽根防衛庁長官などに、露骨にそのことを現しはじめている。なんのための沖縄か、なぜ自衛隊は沖縄に駐屯するのか、我々にとって大きな問題だと思う。
F:米軍のドル防衛で、引き締めがかなり行われているが、米軍当局は今後ますます基地内のPX*3などを利用するよう軍人、軍属に徹底させることはじゅうぶん予想されるのではないか。
G:第一線警察官は住民の感情にある程度敏感に反応を示すが、上層部は今後、よりいっそう第一線の警察官の動揺を食いとめるため、強硬策に出る可能性が強い。また、本土警察庁あたりも沖縄の治安統治を懸念して、より一層、琉球警察の指導を強めていくだろう。そうなると、警察と住民との感情はかけ離れていくと思う、その当否は別にして。
E:この事件で今年の十大ニュースが入れ変わると思う。それはどうでもいいことで、今後、政治的、社会的に大きな意味を持つと思う。これまで偶発的な形で各地で米軍とのトラブルが続発している。それは住民の異民族支配に対する”不満、怒り”の感情をつのらせてきているから・・・。と考えるようによっては島袋―第二ゲート間に解放区を築いたというと、少々言いすぎの感も強いがそれだけたんなる暴動ではなく、暴動の中には一貫したバックボーンがあった。
G:今度の事件は人権無視に対する怒りの爆発という点ではベトナムの少年射殺事件と根底では同じものだと思う。しかし、だからといって軍事支配に対する抵抗の手段として正当視してはいけないだろう。あの騒ぎの中では群集はまったく暴徒と化しており、市街戦さながらの騒ぎで多くの市民を恐怖に落とし入れた。暴力行為を許してはいけないものだ。米軍の反省を求めると同時に騒ぎを起こした群衆の反省もあってしかるべきだ。
E:なにはともあれこの事件が無罪裁判のやり直しや裁判権,捜査権の民移管実現のための突破口になればさいわいだ。

―ではこのへんで・・・・・・。





 以上、引用終わり。
 (1)で引用した部分の臨場感もすごかったが、その後の話も濃い濃い。昔の新聞人の気骨を見たような気がする。そして、もちろん今の沖縄の状況と照らし合わせれば、この座談会が今に問いかけてくることは多い。

*1:米兵が基地外へ出るのを禁止する処置。綱紀粛正や安全上の理由を名目に、反基地運動に対する報復として行われることがあった。米兵相手のAサイン業者はこの処置で大打撃を受けるので、これを防ぐために反基地運動の妨害を行い、県民の間に分断が作り出された

*2:復帰前の沖縄の基地労働者たちの労働組合。反基地運動や復帰運動の旗手団体の一つであった。復帰後は全駐労の沖縄支部となる

*3:米軍基地内のアメリカ資本の大規模スーパー。基地外の沖縄人商店のライバル