なんだかなぁ〜。

 コザ暴動関連でたまたま以下のような意見を見つけたので、プチ批判(あるいは事実誤認の訂正)でもしとく。

 ちょっと私はtwitterとかやってないし、またtwitterでの言説への言及の仕方とか(twitter内でやるべきか、トラックバックとか送れるのかとか)がわからないので、ここでアドレス(?)と本文を提示するという方法を取らせてもらいます。


最近のコザ暴動話で出てくる、黒人兵には甘かったという神話は酷いなぁ…。大体、白人街で起きた事件だったから白人兵が対象になったというだけで、沈静化する前に黒人兵と会ったら同様に暴行対象になっていただろう。しかも、野次が「解放闘争だ!」は、いかにもな感じ。
http://twitter.com/Kozag/status/16566745670094848

まず一点目。
 コザ暴動で群集が黒人兵に甘かったという話は決して「最近」になって出てきた話ではない、ということ。
 前のエントリーでも提示したけど

D:群集はなぜか、黒人兵には同情的だった。なかにはバー街から遊んでの帰り、酔っ払って群集の中にまよいこんだ黒人兵の姿もあったが、群集は”こいつはクルーグヮー*6だ、かわいそうだから許してやれ”という同情的な声も聞かれた。なにかしら、沖縄人は黒人兵には弱い。

という事件現場場を目撃した記者の証言が1970年12月20日、つまり事件翌日の沖縄タイムスに掲載されているという事実がある。
 もちろんそのような証言が当時からあったからと言って、それ(「黒人兵には同情的」)が事実かどうかは検証の必要はある。しかし、少なくとも「黒人兵には甘かった」というが「最近のコザ暴動話」として急に出てきたわけではないことははっきりしている。
 もちろん、この発言をした人は単にその事実を知らないで*1つぶやいていただけだろうが、事実誤認なので訂正。

 もう一点。
 この人は「黒人兵には甘かった」という話を「神話」とする一方で、「『解放闘争だ!』」という「野次」が起こったことは事実として認識しているのが、不自然である。
 「黒人兵には甘かった」も「野次」もこの人にとって直接見たことではなく伝聞であることに変わりはない。しかし、一方を「神話」と断定し、もう一方を事実と断定して語るのは何故だろうか? 伝聞のうち一方の「黒人兵には甘かった」を「神話」と断定したならもう一方の「野次」も「神話」であり、逆に一方を「野次」を事実と認識して論じるなら「黒人兵には甘かった」も事実として論じるのが筋だと思う。
 もっとも(事実誤認があるとはいえ)この人なりに「黒人兵には甘かった」が神話である根拠を推察してはいて、その点では筋は通っている。ただし新聞記者の実際に群集が黒人兵には手を出さなかったという具体的な目撃証言に対して、「〜同様になっていただろう」は単に可能性の話にすぎず、そして100の〈可能性の話〉は一つの〈実際の事例〉の前には無力である。もし「神話」であることを証明したいのであれば、この新聞記者の目撃証言が嘘であることを証明する責任が発生する。
 また「野次」についても、もしかしたらこの人がコザ暴動の記録映像を見たことがあり、その中で「解放闘争だ!」という野次を聞いたがゆえに「事実」と認定して論じている可能性があることは留保しておく。*2

*1:だから細々とでも当時の資料を提示することはやはり意味がある

*2:ちなみに私は以前紹介した当時の新聞記事をはじめ諸々の証言から(そしてその証言を覆すだけの根拠を持たないため)そのような野次があったのは事実だと思う(そして何も問題ない)。私が問題にしているのは野次の事実認定ではなく、ダブルバインド的な態度である