「大江・岩波」裁判にまつわる雑感

 だいぶ日が経ってしまいましたが、被告(大江氏&岩波)側の勝利に終わった「集団自決」裁判に関して、現段階で思うところをつらつらまとまりなく書きます。

 基本的には
4月22日の「Apes! Not Monkeys! はてな別館」のコメントに書いたことの焼き直し&捕捉です*1


歴史修正主義派の切断処理


 この裁判が梅澤&赤松両氏の「名誉回復」をダシにした政治的な裁判であったことはすでに自明だが、彼らを担ぎ上げた原告側は裁判に負けたとはいえ一時的かつ一定の成果は挙げたと言える。前者に関しては「裁判で係争中だから」という理由で教科書から「集団自決」が日本軍の強制であるという記述を削除させたこと*2。後者で言えば、「集団自決」は軍の関与ではないという歴史修正主義の主張を広めそれを信じる者を増やしたこと。


 彼らの意図としては両隊長の「自決命令」の有無を争うことで、両隊長の「名誉回復」という裁判用の表向きの理由を超え、言わば日本軍全体の責任を免除する、あるいはそう印象づける、という欲望があったのは確かだと思う。言わば、この騒動の中で両隊長と日本軍は一つのセットになった概念(あくまで個別的特定的な両隊長の「自決命令」の有無を日本軍全体の責任問題に拡大する)であった。そしてそれは教科書の記述削除という「成果」となった*3
 

 さて、原告が裁判に負けた時、私は少々危惧していた。すなわち「裁判で争っていたのは両隊長の命令の有無であって日本軍全体の関与は定かではない」という論法が原告支援側、あるいは彼らに同調したネット民から出てくるのを。つまり、裁判を起こした時は、特定個人の「名誉回復」に偽装して日本軍全体の責任をも免除しようしたのに、ひとたび負けるやいなや両隊長の件は切断処理し、「日本軍全体の責任の有無」については少なくともうやむやのままにしておこう、という見事な切断処理が起こるのではないかと思っていた。


 しかし、このブクマのような反応(http://b.hatena.ne.jp/entry/www.okinawatimes.co.jp/article/2011-04-23_16972/)もありましたが、おおむねそのような論法が幅をきかせてはいないようではある(池田信夫のブログの関連記事にそのような傾向が見出されはしたが)。ただ、今後のことを考え、一応その論法のご都合主義をはっきりさせておこうと思う。



否定派が沖縄戦の日本軍だったら・・・・・・


 それにしても、今回は否定派が(あまり)沸かなくて良かったものの、あの2008年の教科書10万人集会へのバッククラッシュは本当にひどいものがあった。私はネット上での否定派の罵詈雑言を見て、(もう何度目かのことだが)本土の人間に対する深い失望感を新たにしたのに留まらず、ちょっと人間不信になりかけた。
 今、手元に本が無いので正確な引用はできないが、『反ファシズムの危機―現代イタリアの修正主義』(セルジョ ルッツァット著/岩波書店)の「あなたと私の記憶が永遠に断絶していることを強く願う」*4の言葉をまさしく当時の私の心情を表すものとして感じていた(本書で使われている意味とは違うかもしれないが)。
 今はもう少し、それでも否定派の暴言ばかりに目を向けていないで、彼らに果敢に反論してくれた本土の人々のことをもっと信頼しなくてはいけないな、とは思っているのだが・・・・・・


 「集団自決」といい「慰安婦」といい歴史修正主義者の言説を見ていると(言論上の話とはいえ)「人はどこまで非人間的になれるか」(辺見庸)という命題を想起せずにはいられない(南京否定論者も相当のものだが、彼らはもはや「人はどこまでバカになれるか」という命題の方がふさわしい人が目立つ(笑))
 「集団自決」で言えば、何がなんでも日本軍(引いては日本人である自分達の祖父)の名誉を守るため、いかに被害者を傷つけ貶めてもかまわない,そのためにいかなる手段も辞さないとしか思えない言動、沖縄に対する蔑視的感情、戦争や軍に批判的な思想に対する嫌悪感……といった否定派の言動を見ていると、両隊長や当時の沖縄の日本軍が自決命令を出したかどうかと言う以前に、いやいや、両隊長や日本軍のことは歴史家にまかせるにしてもあんたらが当時の沖縄の日本軍だったら確実に住民を「自決」させただろ、としか思えないあたりが何とも。
 「戦争という異常な時代のことだから仕方ない(今の平和な時代の価値観で裁けない)」とかも彼らはよく言うが、そうだとすると、平和な時代にあってさえいともあっさりこんな卑劣な言動ができるあなた方は戦時になったらいったいどうなってしまうことやら*5、と思う。
 今の時代でもそういうメンタリティの人たちがいっぱいいるのだから戦時中はさぞかし・・・・・・と否定論者たちの対応がかえって当時の軍による「自決」強制の真実性を証明してしまっているようだ。(まあ、ネットで言っているだけのことと現実に同じ状況ではどうするかを安易に直線で結ぶこともできないが)



沖縄の二メーラー 


 さて、少々沖縄側*6への疑問点についても。
 

 あの教科書10万人集会の会場で、私は予想以上の人数が集まったことを一参加者として嬉しく思いながら、ある不安も感じていた。このような大規模な動きをしたからには、必ず歴史修正主義者(ガチからカジュアルな人まで)からそれ相応のバッシングが来るだろうとは思っていたからだ(実際には、私が予想していた以上のひどさでだいぶへこんだのだが)。以前から、中国韓国がバッシングされるのを見ては、この矛先がいつ沖縄に向けられることになるかハラハラしていたのだが、その時が来てしまったというわけだ。
 しかし、他の沖縄の参加者からは(少なくとも私にとっては)まったくそのような危機感というか、それに対して対策を立てておこうという考えは見当たらなかった。彼らは「これだけ多くの人が集まったのだから沖縄の声に本土が応えてくれるだろう」という本土の人々に対する楽観的な信頼感を抱いていたようで、だからこそひどく無防備だっただ。


 私は何故そう無防備でいられたのか不思議でならない。確かに、本土の心ある人々を信頼するのは重要で、実際に多くの共感・支援の声はあがったと思う。それでも歴史修正主義者によるバッククラッシュには十分警戒しておくべきでだった。歴史修正主義者が南京虐殺や「従軍慰安婦」にまつわる議論でいかに容赦無い攻撃を加えてきたか、彼らがいかに道義無き価値観を有しているかを知っていれば。
 沖縄の人々はそれを知らなかったのだろうか。知っていてもそれとこれ(南京や「従軍慰安婦」と沖縄戦)とは別だと思っていたのだろうか。


 もし後者だとしたら、言っては悪いけど、それは人類館事件の抗議のスタンスに通ずるメンタリティと言えるかもしれない。
 
 人類館事件とは、1903年明治36年)大阪で開催された第五回勧業万博の場外展示として、沖縄人,アイヌ,中国人,朝鮮人,台湾高砂族,ジャワ人,インド人その他の民族を「展示」した事件。彼らは場内のそれぞれの区画で民族衣装をまとい、日常生活を送り、それを観客が見物するというものだった。
 この事実が沖縄に伝わるやいなや、全県的な抗議運動が起こった。しかし、その内実は沖縄を代表する言論人・大田朝敷の

「(前略)彼等が他府県に於ける異様な風俗を展陳せずして、特に台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは、是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり。我に対するの侮辱、豈これより大なるものあらんや」

といったものだった。つまり、ここでは特定の民族を「見世物」扱いすることではなく、沖縄県民を「台湾生蕃、北海のアイヌ」と同列に扱ったをこそ問題にしている。現在の沖縄では、このような抗議の内実が批判されていることは言うまでもない。


 南京虐殺や「従軍慰安婦」に対する歴史修正主義勢力の攻勢、そして戦争責任を日本人に想起させる中国・韓国の言動に対し少なからぬ日本人が根深い嫌悪感を持っていることを知っていてなお沖縄側がのほほんとしていたとしたら、「自分達が日本人から中国韓国に対するのと同じような扱いを受けるはずがない、だって自分達は日本人なのだから、だって自分達は彼ら<なんか>とは違うのだから」とどこかで思っていたからではないかと思う。


 しかし、自身がいかに彼らと異なる存在だと認識しようと、例え自分は日本国民の一部だと認識していたとしても、実は決してそうだとは見なさいまなざしが存在する。それは、例えば中国や韓国を「反日」「特定アジア」とまなざすまなざしであり、その視線の線上に沖縄は存在する。そのまなざしの持ち主が中国や韓国を嫌悪し嘲笑する時、実は彼らは潜在的に沖縄を嫌悪し嘲笑しているのである(ここで事態を複雑にしているのは、彼らはそうやって潜在的には「日本」という枠組みから沖縄を排除しつつ、実際の行動としては積極的に沖縄を「日本」の内部に取り込もうとしている点である)。
 このようなまなざしに対して沖縄側が取る対応は、中国韓国などの(彼ら言うところの)「特定アジア」と沖縄がいかに違うかを強調すること、ではない。それは結局、大田朝敷の人類館批判と同じ間違いである。そうではなくて、そもそも自らの気に入らない他者を「特定アジア」などと称して排除するまなざし、そして自らにとって都合の悪い過去を想起させる他者の歴史を捻じ曲げる歴史修正主義の欲望を、それが南京であれ「従軍慰安婦」であれ「集団自決」であれ、批判していくことが必要だと思う。


 しかし、この点においても沖縄側の対応には問題があった。「新しい歴史教科書を作る会」の活動が活発になり、歴史修正主義の攻勢が激しくなったのが2000年前後であった。彼らの主たる攻撃対象は南京事件と「従軍慰安婦」問題であった。一連の流れや、今回の岩波・大江裁判に関わる人物を見れば、沖縄の「集団自決」への歴史修正主義が、南京や「従軍慰安婦」に対する攻撃の延長線上にあることは自明である。


 しかし、彼らが南京事件や「従軍慰安婦」を攻撃した時、沖縄側は今回の教科書検定問題の半分でも真摯であっただろうか? *7
 言わば、この「集団自決」裁判と教科書検定は、かつての南京虐殺や「従軍慰安婦」を否定する風潮をのさばらせておいたことの当然の結果として現れたものなのだ。


 沖縄戦問題といい、基地問題といい、残念ながら沖縄は自らの被害ばかりを感じとる傾向にある。確かに被害は存在するのだし、そうなってしまうのもある程度仕方がないとは思う。
 それでも沖縄戦という狭い世界だけに閉ざされるのではなく、南京や「従軍慰安婦」問題への歴史修正主義者の攻撃にはっきりノーを突きつけることが必要なのだ。それが引いては沖縄戦の史実を守ることにも繋がるのである。


 もちろん、仮に歴史修正主義者が沖縄戦に関しては一切攻撃を加えない、という事態になったとしても、「責任」という観点から彼らに反対することは必要である。これは基地問題にも言えることだと思う。沖縄戦が日本の侵略戦争の結果の一つであり、沖縄の米軍基地からベトナムイラクに米軍が出撃していったことを思えば。
 歴史問題でいえば「集団自決」関連の裁判に勝ち(まだされていないが)教科書に記述を復活させれば南京や「従軍慰安婦」問題がいかに歴史修正主義の攻撃にさらされていてもハッピーエンド、米軍基地で言えば基地周辺の騒音*8や流弾問題が解決され沖縄における米兵の事件事故がなくなれば沖縄から米軍がクリーンな形で出撃を続けてもめでたしめでたし、ではないのである。


反ファシズムの危機―現代イタリアの修正主義

反ファシズムの危機―現代イタリアの修正主義

 

*1:5月22日、この記事を書きかけの段階で誤って公開してしまい、すぐに下書きに戻したがTBはApemanさんのとこに送られてしまった。なのでTBを辿って来てくださった方、この記事がそうです。二重になるので今回はTBしません

*2:裁判はいつから歴史学会になったのか?

*3:教科書にはそもそも両氏の個人的な責任を追及するような記述はなかったし、さらに言えば座間味・渡嘉敷の出来事に限定されず沖縄戦全体について書かれていたのであり、住民と軍隊が混在する中で、かつ旧軍の特殊性に規定されて発生した特徴的なできごというスタンスで記述されていたのにも関わらずに。

*4:作中では、ナチスに迫害されたユダヤ人の祖父を持つ著者の、ナチスの親衛隊であった父を懐かしむ言説をする学者(?)に向けたメッセージという形をとり、加害者と被害者の「和解」という美名の元、両者の記憶が共有されることによって、実は加害者側の記憶が正当化されるという最近の風潮を批判し、それならば国民の記憶など断絶していたほうがマシだ、という皮肉である・・・だったと思う

*5:南京事件の話になるが、日本軍が中国兵捕虜を大量に殺害したことを免罪しようとする人々は、武器を渡し後ろ手に縛られた人間を機関銃などで撃ち殺しても合法だと強弁する。こういう言説を見るにつけ、決して彼らが兵隊になって戦場に行くような事態に日本社会をしてはいけない、と思う

*6:本来、私は多様な意見を持つ沖縄の人々を「沖縄は〜」とか「沖縄の人々は〜」という大きな主語で語ってしまうのに反対している。世論調査などの結果に基づき、「沖縄の多くの人々は〜」的な言い方はありだとは思うが・・・。しかし、今回、以下の問題を論じるにあたって私の力量不足から「沖縄は〜」的な言い方以外の言葉が考えつかない。まあ、あくまで<私の見るところの>「沖縄の思想状況」「沖縄の人々の意識の傾向」的なものとして読んでいただきたい

*7:フェアな言い方をすれば、「新しい歴史教科書」検定通過の時、沖縄は地元のメディアや学者、平和団体などによって、日本国内で最も大きな反対の声が起こった地域の一つであったと言える。特にひめゆり学徒隊の描かれ方が「殉国美談」だとして、元学徒隊の人々が熱心に抗議の声を上げていたのを覚えている。しかし、全国メディアは中韓の抗議の声ばかり取り上げて「外圧」を演出し、国内からの抗議の声は黙殺に近かった。

*8:これ自体はたいへんな問題だが、最近この点ばかりに基地問題が矮小化されているように思う