中国ドラマ「狙撃手」がおもしろい

国慶節の余波でTVでは革命ドラマが山のように放送されているが、その中で一押しのドラマが、日中戦争を舞台にした「狙撃手」。・・・・・・日本で放送されることもないだろうと思うので、ここで紹介することに意味があるか謎だけど、以前、紹介すると書いたのでやります。まあ、日本でもネットの中国書籍販売店などに頼めば入手可能なので、読んで興味を持たれたかたは探してみてください。

以下、ネタばれはないけど少々残酷な画像があります。


追記
あと、勢いあまってファンブログまで作ってしまいました。相当、デンパな内容(ドラマではなくブログが)が詰まっていますが、よろしければどうぞ。
http://mabuigumi5.blog89.fc2.com/(旧ブログ)
http://d.hatena.ne.jp/mizuki-yu/(移転先)
もう一つ、よく「中国 ドラマ」でこの記事に来る人が多いのですが、そういう人用に以下の中国ドラマブログも紹介しておきます。
http://red-theatre.cocolog-nifty.com/blog/



あらすじ。

 主人公は、中国国軍*1の若きスナイパー・竜紹鉄。かつて自分が協力を拒んだゆえに家族と村人を日本軍に皆殺しにされた過去を持つ。
 ドイツで本格的に射撃を学んだ彼は、その戦区の日本軍にとっても驚異的な存在となっていた。しかし当人は戦争によって心に深い傷を負い、いつも鬱々として退役を希望している。誤解を受けやすい性格ゆえに国軍の中で疎まれて孤立している上に、生き別れになっていたかつての恋人が上官の妻として現われ竜の懊悩は増していく。
 そんな中、日本軍は彼を倒すため芥川という名の天才・スナイパーを送りこんできた。芥川の登場によって戦区は「死神の盛宴」とも言うべき地獄の様相を示すようになり、竜紹鉄の運命も狂わされる。さらに竜の所属部隊内に日本軍へ情報を流す者がいるらしく、彼はスパイ容疑をかけられてしまう。
 その一方で、八路軍の中隊長で共産党員の洪大春とお互いの政治的立場を異にしたまま奇妙な友情と信頼関係を築き、八路軍の女スナイパー・九児とままならぬ恋に落ちる。残酷さを増す戦況と戦争で傷ついた人々の思いが交錯する中、竜紹鉄は芥川との死闘を繰り広げるが、そこで払った犠牲はあまりに大きく・・・・・・。



 「狙撃手」はドラマとしての出来も大変よいが、やはり一般の日本人が興味を持つ*2のは、主人公のライバルとなる日本軍のスナイパー・芥川だろう。


芥川
 日本軍が対竜紹鉄用に送り込んできた天才スナイパー。百発百中の腕前で、彼の標的になった者は次の瞬間には眉間か心臓を撃ち抜かれている。敵兵を淡々と射殺していく様子から「殺人マシーン」と呼ばれる。
 極度に無口で無表情、そして大胆不敵。個人プレーを得意とし、孤独を愛する一匹狼。まるでスナイパーになるために生まれてきたような男である。自らの力に絶対の信を置いているが、協調性,組織(上官)に合わせる,空気を読む,責任を誰かに押し付けるなど日本軍人にとって最も大切な能力には欠けている。(「あなたに説明している時間はない。早く私が言ったことを各方面に伝達しなさい!」←上官へ向かって言ったセリフ)
 「狙撃手は殺戮者ではない」という信念を持ち、民間人や無力な新兵は標的としない。積極的に中国の歴史や文化、中国語を学び、中国軍を馬鹿にする上官や同僚に逐次反論する。その一方で、訓練のため中国軍の捕虜を的にしたりもする。しかもそれは彼が残虐だからではなく、生きた的を使う方がいい訓練ができるという合理的判断であるように描かれている(これは単に残虐であるよりある意味怖いであろう)。
 弟が三人いるが、ドラマ開始時点でうち二人はすでに戦死しているらしい。中国の別の戦場にいる末の弟と手紙をやりとりするのを楽しみにしている。


 実を言うと私はあまり芥川の行動原理には同意もできない。ただ、その個性的な人物造詣と芥川役である矢野浩二の名演技によって出番は比較的少ないにも関わらずドラマの中で圧倒的な存在感を示している。
 元々抗日ものは好きではあったが、私がこのドラマに注目したそもそものきっかけは、この芥川のインパクトありすぎるキャラと矢野浩二の名演技だ。中国語がわからなくても彼の演技を見るだけでも価値があるだろう。
 中国でも「芥川がまるで英雄のようだ」という言い方で議論が巻き起こっているらしい。・・・まあ、確かに充分ダーティーヒーローではあると思う。



中国軍の駐屯地を単独で強襲する芥川


ちなみに芥川役の矢野浩二氏のブログに演技のことや裏話が載っています。下記アドレスの頭にhをつけて飛んでください。

ttp://www.yano-koji.jp/index.php




戦場の残酷さの追求 

 さて、次の注目点は、ぶっちゃけ登場人物の○○と○○○*3の男二人は公式でBLCPなんじゃないかと気になって気になって・・・じゃなくて、迫真の戦場描写であろう。「戦場の残酷さ」を製作側がかなり意識して描こうとしているのがはっきりわかる。
 日本でも公開された「集結号」*4という第二次国共内戦を扱った映画は、中国版「プライベートライアン」と呼ばれるように、戦場の容赦の無さを徹底的に書いたことで話題になった。この「狙撃手」も同じで、まるで80年代から90年代によく日本で作られた悲惨な南方戦場を舞台にした反戦戦争映画を見ているような趣きがある。
 もちろんこの「狙撃手」にも英雄主義的な描写もある。だが、それ以上に戦場のおぞましさ、あるいは人と人が殺しあうことに対して視聴者に根本的な嫌悪感を催させるような描写に優れている。


 戦場で容赦なく日本軍の砲撃に襲われ、主人公たち中国軍は必死に抵抗するが、ほとんど成す術を知らない。この砲撃&銃撃シーンは実にすさまじい。
 家族を日本軍に殺された報復心あるいは愛国の情に突き動かされて参軍するまだ十代の新兵たち。彼らの情熱は本物であるが、いざ戦場で日本軍の砲撃にさらされた時、ある者はパニックになって逃げ出そうとし、ある者は古参兵が戦っている横でただ泣き喚いているしかない。パニックになって却って塹壕から砲撃の中へ飛び出し、「家に帰して!」と叫ぶ新兵を主人公が無理やり連れ戻すシーン*5はなかなか惨たらしい。
 

 そしてそんな銃撃戦における描写よりもさらに白兵戦における狂気の描写は秀逸である(弾丸が尽きて生き残った新兵が、白兵戦に移るから銃剣を装着するように促されて、半泣きの顔で震えながら銃剣を装着するシーンが印象的。)。このへん同じ殺戮でも相手と距離がある銃撃戦と直接殺す白兵戦の違いが明確に意識されているのだろう。
 ここでは銃撃戦の段階ではまだ多少残っていた大義も復讐心も個人の人格もすべて失われてしまう。日本兵も中国兵もただ目の前の無数の相手を殺戮し自分が生き延びることだけを考える一匹の獣となっているようである。
 白兵戦とはただ銃剣で剣戟をするだけではない*6。相手を蹴飛ばす、倒れた相手に飛び掛る、取っ組み合う、殴りつける、投げ飛ばす、のしかかって首を絞める、目の前の相手を刺し殺したと思ったら別の相手に串刺しにされる・・・ありとあらゆる醜悪な光景が画面狭しと映し出される。それは獣が互いに共食いするのとどれほどの違いがある光景であるか。
 いかに残酷さを再現できるか極限まで求めているかのような戦場描写に視聴者はまず何よりも戦場のおぞましさに嫌悪感を覚えるだろし、それこそが製作側の意図であろう。



白兵戦の一場面


取っ組みあいの中で銃剣を落とし必死に拾おうとするものの一歩間に合わず敵に引きずられていく兵士


 ただ、多少気になる点もある。
 中国ではこういう戦場の砲撃シーンの撮影を手伝う花火師がいて、彼らが本物の火薬を使って真に迫った爆破シーンを作っている。ただ数年前、別の戦争ドラマでこの火薬の使い方を誤って死者が出たように、ドラマ内で過激に爆薬を使う傾向が増えている気がする。それは迫真の戦場を再現するためには必要かもしれないが、視聴者がそれに慣れて感覚が麻痺してしまう危険はないだろうか。そうなるともっと過激な爆破シーンなど際限なく視聴者が刺激を求め、製作者側も火薬の使用量をどんどん増やさざるをえなくなるのではないかと思う。それは危険なことだし、また例え「戦場の悲惨さ」を表現するという意図があっても、視聴者がかえってそれに刺激を感じてしまっては本末転倒であろう。


 まあ、何はともあれ、「狙撃手」はドラマとしてもいろいろ斬新*7でおもしろいので、ちょっと紹介してみました。
 で、私としては○○と○○○ができているのか何なのかが気になって同人誌を作ってしまいそうな勢いなのだけど。 
 

*1:抗日民族統一戦線の元で、中国には国民党政府軍と共産党八路軍が日本軍と戦っていた。政府軍は国軍または国府軍と称されていた。ちなみに抗日ドラマで八路軍も登場するのに国軍の将軍を主人公に据えるのは異例のこと

*2:私個人としてはドラマの展開とかやたら腐女子受けしそうな男同士の関係の方がよっぽど気になるのだが

*3:伏字にしています

*4:日本公開版は違うタイトルだったと思うが忘れた。確か「戦争の悲しみ」とかいうしょうもないタイトルだった気がする

*5:実際には少しは安全な塹壕の中に引き戻してやったわけだが

*6:ドラマ上ではむしろ銃剣で刺し殺すよりも銃の底で敵の頭部を強打して殺すのが多い

*7:例えば国軍の将軍が主人公だったり、彼と八路軍の中隊長が友情で結ばれていたりと異例の設定が多い。これは一つには監督がかなり自分の自由に作ったか、あるいは対近現代史ドラマに対する政策方針が転換されそれが影響しているのかの二つの可能性が考えられる。ただそのどちらであるか、また政策方針が転換されたとしたらそれはどういうことかはここでは触れないことにする