「愛は贅沢品」

 異色(?)抗日ドラマ「狙撃手」の監督である高希希が作品に込めた思い*1や批判に応えているのを見つけた。なかなか興味深いので重要な点を簡単に訳して紹介しときます。
 ・・・私の訳、かなりあやしいですが・・・ほとんど直訳のくせに細かい点がうさんくさい。原文は引用の最後にあるアドレスの頭にhを加えたサイトにあります。



 最初に高希希が中国のネット上での番組のインタビューに答えたものより。

まず戦争の本質とは何か考えた。(中略)ただ勝利することだけが戦争の本質なのであり、それゆえ戦争は中国人に巨大な苦痛をもたらした。それは侵略者である日本人にとっても同様である*2。私はそう思うゆえに、ある希望をこの作品のテーマに込めた。それは、私たちに必要なのは平和であり,戦争はいらない,武器を捨てよう、ということだ。このような反戦の心を持ってテーマと向き合い、それをテーマにこめた。

ttp://ent.qq.com/a/20090928/000429.htm


 ドラマを見ていて、この製作者は相当意識して戦争への嫌悪感を視聴者に与えようとしているのではないかと思っていたが、やはりそうであったらしい。


 また、ドラマ内であるカップルが悲劇的な最後を迎えたことに対して、視聴者から多くの批判が寄せられているらしいのだが、それに監督はこう応えている。


 私たちはいくつもの愛情物語を細かく描くように注意し、そのすべてを破壊した。一つもハッピーエンドとしなかった。それは何故か。(中略)私は、戦争という残酷な時代において愛は贅沢品であり、愛が贅沢なものになってしまうということを描くことで戦争がいかに残酷なものであるかを表現しようと思った。今の人々に言いたいのは、平和を守ろうという言葉は理念の上ではとても簡単である。だから私はいくつもの情愛を引き裂いてみせた(中略)実際、私達はヒロインを女神のような存在として設定した。美しく、無垢で、純潔であった彼女が最後、戦争によって破壊されたことは、人々の胸にショックを与えたことであろう。このような感情を通じて、「狙撃手」を通じて、武器を捨て、戦争を捨て、私達は平和を守らなければならないのだと訴えたい。

ttp://ent.qq.com/a/20090928/000429_4.htm


 女性キャラがやたらと悲惨な運命になったと思っていたら・・・そういう意図だったか。
 こう言っては何だが、監督は物語の作り手としての基本を押さえていると言うか、センスがいいと言うか・・・「ショックを与え」って完全な確信犯。そしてネット上でヒロインの運命に批判が多くあったって言うから、そのもくろみはかなり成功したわけだ。


 それはそうと「愛は贅沢品」とは印象的な言葉である。
 愛し愛しされること、それは誰もが享受していい当然の権利である。その当然の権利が「贅沢品」になってしまうのが戦争だ、と。だからこそ戦争はだめなのである。これは、監督が人は誰しも幸せになる権利があるのだと固く信じているからこそ持つ彼の根本的な考えなのだろう。

*1:もちろん中国での近現代史を題材にしたドラマでは、完全に監督のアイデアや思い通りに作品が作られるわけだはない。ただし、それがまったく通らないわけではない。どれだけ思った通りに作れるかは時勢とかけひきの問題である。そしてこの「かけひき」に対する製作者側の努力とアイデア勝負の妙を無視するべきではない。

*2:この監督の考えはそれはそれとして、日本人がそれに甘えて「日本人だって戦争の犠牲者だ」と言うことは厳に慎まなければならないことだと思う。